信玄の肖像画は信玄を描いていない

信玄役に合うかどうか中井さんに聞かれた時の周りの反応は、明らかに、高野山成慶院所蔵の肖像画のイメージを基にしたものでしょう。

でっぷりと肥えて、丸顔、頬と口まわりにヒゲを生やし、グッとこちらを睨みつけているかのように感じる肖像画です。信玄というと、この画像を想起する人が多いのではないでしょうか。

今回の阿部さん演じる信玄も、おそらく、高野山成慶院の肖像画を基に造形されたと推測されます(この肖像画の人物は太っている、そして阿部さんの信玄は痩せているという差はありますが)。

お馴染みの「信玄像」は、かつて教科書にも掲載されて、われわれの信玄イメージをこれまで培ってきました。ところが、高野山成慶院の肖像画は信玄ではないという説が今では有力視されているのです。

そもそも家紋が違う

この肖像画は、桃山時代の画家・長谷川等伯(1539〜1610)が描いたとされます。信玄が生きている間に描かれ、没後に、後継者の武田勝頼(信玄四男)により寄進されたと言われてきました。

ところが、歴史研究者の藤本正行氏から、この肖像画は信玄ではないとの疑義が提出されます(「武田信玄の肖像 成慶院本への疑問」『月刊百科』308号、1988年)。

その理由は次のようなものでした。成慶院の肖像画を信玄とする説は、文献的な根拠・裏付けがないということ。画家・長谷川等伯がこの肖像画を描いたのは、永禄7年(1564)から天正年間(1573〜1592)の初期であり、その頃に、等伯が信玄と会う機会はなかったであろうこと。

肖像画の人物が腰に差している腰刀の目貫(柄の中央付近に付けられた刀装具)やこうがい(刀の鞘の付属品)に描かれた家紋(二引両紋)にも注目しています。武田家の家紋は、二引両紋ではなく、花菱であることも、この画像の主が、信玄ではないとの根拠とされたのです。