ペッパーミルの本当の意味

さかのぼれば1961年、中日ドラゴンズが日本生命の柳川福三外野手を強引に引き抜いた「柳川事件」をきっかけとしてプロとアマは断絶し、プロとアマが試合をすることや練習をすることさえ厳禁とされた。

断絶状態は徐々に緩和されはしたが、今でも日本高野連の規定では

「正式入団契約以前に、プロ野球団のコーチを受けたり、練習または試合に参加したもの」は「高等学校野球部員としての資格を失う」と明記されている。

高校球界は今も「高校野球はプロ野球とは違う。うちの方が歴史も古いし、別の価値観を有している」という認識が根強い。「流行しているからといって、プロ野球選手のパフォーマンスを軽々にマネをするのはけしからん」と思う大人がたくさんいるのだ。

野球の審判が集合して協議中
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一部に「日本高野連は、失策で出塁した選手がパフォーマンスをしたことをとがめたのではないか」という声が出ているが、日本高野連のコメントは、「ペッパーミルパフォーマンス」そのものを「不要」としている。その認識はなかったはずだ。

前述したように「ペッパーミルパフォーマンス」は、相手チームに見せびらかすものではなく、自軍ベンチに向かって「つないでいこうぜ」というメッセージだから、そもそもその指摘は当たらない。

「昭和の高校生像」を押し付ける

東北高校の佐藤洋監督は、読売ジャイアンツに在籍した元プロ選手であり、少年野球の指導者として永年活躍してきた。

「スポーツマンシップ」を尊重し「子供の自主性」を重んじる進歩的な指導者で、昨年8月に東北高校に着任すると、丸坊主を廃止し、練習中に音楽を流すなど「選手が野球を楽しむ」環境をつくってきた。「ペッパーミルパフォーマンス」の意味するところも十分に承知していたはずだ。

日本の高校野球は「高校生らしい振る舞い」を球児たちに求めてきた。全力疾走、全力プレー、目上の人に対する礼儀正しさ、真面目さ、ひたむきさ。

それは、スポーツマンとして大切なことではあるが、同時に「今の若者の気質」と必ずしも相いれるものではない。

生まれたときからスマホがあり、ネットがある環境で育ってきた今の若者は、流行をすぐに取り入れるし、SNSで空間を乗り越えて連帯することができる。

そうした傾向がネガティブに働けば「回転ずしテロ」につながるが、WBCと高校球児が同じパフォーマンスを通じて「連帯する」のは、実に「今」らしい風景だったはずだ。

しかし高校球界の大人たちは「新しいものにすぐに飛びつくのは軽薄だ」と断じたのだ。

ありていに言えば高校野球の言う「高校生らしさ」は、今の高校生の「ありのまま」を反映するのではなく、大人たちが「望ましいと思う高校生像」なのだ。それは「昭和の高校生像」と大差ない。