かつてシャープは、サムスンの半導体事業の技術支援をしていた。なぜ競合相手を利するような行為に及んでいたのか。元TDK米国子会社副社長の桂幹さんは「シャープには『技術情報を漏らさなければ韓国の一企業に負けるわけがない』という慢心があった。同様の慢心は他の国内電機メーカーにも言える」という――。

※本稿は、桂幹『日本の電機産業はなぜ凋落したのか』(集英社新書)の第2章〈慢心の罪〉を再編集したものです。

シャープ株式会社の本社。大阪市阿倍野区
シャープ株式会社の本社。大阪市阿倍野区(写真=Otsu4/CC-BY-SA-3.0-migrated/CC-BY-SA-2.5,2.0,1.0/Wikimedia Commons

技術開発力に定評があったシャープ

電機業界で慢心による弊害が起こっていたのは、もちろん記録メディア事業だけではなかった。記録メディア以外の事例も見てみよう。

親が勤める会社に対しては、子供心にも自然と親近感が湧くものだ。何より家の中の家電品はすべてシャープブランドだったし、父の労働の対価とはいえ、日々の食費や学費の出所でもあったのだから当然だろう。成人し、直接の関係はなくなっても、私にとって同社は特別な存在だった。

シャープは技術開発力に定評がある会社だ。創業者である早川徳次氏の、「他社が真似する製品をどんどん開発していこうじゃないか」という考え方が影響したのかもしれない。実際に、国産初のテレビの発売や、世界で初めてのオールトランジスタ電卓の開発という成果を上げている。そのDNAは受け継がれ、1990年代に入ってもビデオカメラに大きな液晶画面を付けたビューカムや、携帯情報端末の先鞭をつけたザウルスなど、ユニークな製品を発売し続けた。

シャープはサムスンにとって「半導体の家庭教師」だった

そんなシャープは、韓国の新聞で「サムスン半導体の家庭教師」と呼ばれることがある。

世界第2位の半導体メーカーが、かつてはシャープの教えを乞うていたのだ。1983年に半導体事業への本格的な参入を宣言したサムスンは、スタートラインに立つためにマイクロンやシャープの技術指導を受けた。実際にシャープは4ビットマイコンの技術をサムスンに売っている。これは当時でも陳腐な技術で、機密性や先進性に問題はないと判断されたためだった。