「理不尽な行為」もかつては当たり前だった

社会の価値観は時代によって変わります。

体罰は、かつては「当たり前」でしたが、今は許されません。

「虐待は許しがたい悪行だ」という価値観が社会に根付いています。

かつての強い家父長制のもとでは、長男が尊重されるのが当たり前でした。

「長男だけおかずが一品多い」といった差別も珍しくなかったのです。今ではそんな家はめったにありませんが。

家庭内での女性の地位もかつては低かったのです。女は家にいるべき、という考え方が当たり前でした。

女性が性的虐待を受けた場合でも、「黙っていなさい、我慢しなさい」と言われることさえありました。

これは娘を世間の目から守ってやりたいという親心でもあったのですが、今の価値観に照らせば、理不尽な話というほかありません。

家の外にも厳しい上下関係があり、「目上の人間には服従すべき」という考え方が当たり前でした。これも今やナンセンスだと考える人が大半でしょう。

社会の価値観は大きく変わっていますが、親子問題においては、これが思わぬトラップとなることがあります。

親世代の価値観を理解することも大事

子どもの側は、現代の基準で昔の出来事を判断しがちです。

患者さんと話していても、世代差を加味せず判断し、そのせいで余計に親を恨んでしまい、治療は停滞することがあります。

親を許すには「今は許されないけれど、当時はそういう時代だったのだ」という視点も重要なのです。

そのためには、親や祖父母の子ども時代についての本を読むことをおすすめします。

益田裕介『精神科医が教える 親を憎むのをやめる方法』(KADOKAWA)
益田裕介『精神科医が教える 親を憎むのをやめる方法』(KADOKAWA)

戦中戦後の暮らし、全共闘時代、高度経済成長期、平成バブル期。それぞれの時代を扱ったノンフィクションや小説がたくさんあります。

また、古い日本映画も当時を知るうえできっと参考になるでしょう。

「当時はそういう時代だったのだ」という認識は、「割り切り」であるとともに、ある種、救いでもあります。

親は自分を愛していなかったわけでも、軽んじていたわけでもない。単にそういう時代に生きていた人なだけだ、という気づきになるからです。

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