飲酒と男らしさが結び付いている

――アルコールの消費と男らしさ・男性としての強さを結び付ける文化は日本独特のものなのでしょうか。

形は違うが、そうした文化は多くの国々で見受けられる。もちろん、アメリカにも、一部の大学生の間で見られるような「大量飲酒文化」はある。もっとも、日本の飲酒文化ほど「ジェンダー」色は強くないが。

ところで、質問に出てきた「独特」を意味する「unique(ユニークな)」という言葉だが、私たち文化人類学者は、こんなジョークを飛ばす。「『unique』という言葉は好きじゃない。世の中には唯一無二のものなどなく、必ずほかの何かが見つかるからだ」と。そうした意味では、この場合、「distinct(特徴的な、明白な)」のほうが、しっくりくるかもしれないね。

ほかの国にも「大量飲酒文化」はあるが、日本における飲酒と男らしさの結び付きは非常に強固だ。

良き酒飲みは「酔っていない風に装える人」

――とはいえ、アメリカ映画で、若い男性が大勢集まって、ビールを片手にテレビのスポーツ番組を見て歓声を上げるシーンをよく見かけます。日本の飲酒文化とはどこが違うのでしょう?

日本でお酒を飲んでいる人たちを見ると、まず不思議に感じるのが、自分が酔っていることを隠そうとせず、素直に表に出す点だ。泥酔するまで飲むことがゴールであるかのように、酔っぱらうことを問題だと思っていないようだ。この点がアメリカと違う。

アメリカでは、特に男性は「酒に飲まれてはいけない」という意識が強い。お酒をたくさん飲んでも、まるでしらふのように自分を保つことができなければならないのだ。つまり、アメリカの流儀に従えば、量は飲めるが、酔っているように見えない人が「グッド・ドリンカー(良きお酒飲み、たちのいいお酒飲み)」とされる。

ひるがえって日本では、その真逆に近い。さほど飲んでいない人も「いかに酔っているか」を強調するかのごとく、大声で笑ったり、羽目を外すような行動を取ったり、むしろ大げさに振る舞う姿が目立つ。そして、いったん会計が済むと、酔いがさめたかのように落ち着く。

日本では、飲みに行くからには、酔っぱらって大いに楽しみ、仲間との絆を深めることを重視する。一方、アメリカでは、「俺はたくさん飲めるが、何ら変わらない。大声で笑ったり、千鳥足になったり、泣き出したり、感情をあらわにしたりするようなことはしない!」となる。

文化をはじめ、ジェンダーや飲酒をめぐる考え方について、日米には大きな開きがある。

――アメリカでは、スーツに身を包んだビジネスマンが飲みすぎて、駅のホームや車内、街中で戻したりしませんよね?

アメリカでビジネスマンがそんなことをしたら、「弱さ」だと取られてしまう。もちろん、日本でも、車内には悪臭が立ち込めるし、飲み過ぎて人前で失態を演じることは問題だと思われているだろう。とはいえ、そうした状況が「起こる」ことが前提になっている。誰かが今夜も気分が悪くなるほど飲みすぎるだろう、と。

日本では、そうした行為に対し、アメリカよりはるかに批判的な見方が少ない。