沖縄県うるま市。コバルトブルーの海に程近い高台の一角、米軍キャンプのフェンスと隣り合わせた市のインキュベーション施設の一室に、「アイセック・ジャパン」のオフィスがある。
3年前、チャットシステムを利用したコールセンターの受託事業というビジネスモデルで同社を起業したのが一瀬宗也社長だ。
一瀬さんは日本IBMに28年間勤務し、子会社の社長も務めた。沖縄のコールセンター立ち上げプロジェクトに関わっていた2005年に早期退職。
「社長といっても所詮宮仕え。50歳になって新しいことをやりたいと思いました。まずは退職したのですが、沖縄のプロジェクトから手を引けず個人の立場でお手伝いした。プロジェクト終了後は東京で就職活動もしましたが、沖縄県の産業振興公社のベンチャー育成連携事業に応募したら、これが通ってしまった(笑)」
08年9月、いまも千葉県に住む家族の了解を得て、単身沖縄で起業した。自前の資本金900万円に公社から100万円の支援を受けてのスタート。フィジビリティスタディ(企業化調査)でも好感触を得た。
しかし100年に一度の最悪のタイミングだった。リーマンショックで風向きがすっかり変わってしまう。副業のパソコン教室の収益を含めて初年度の売り上げは280万円。最終利益はマイナス1500万円。赤字分は自己資金で補填した。
09年もなかなか状況は好転せず、沖縄振興開発金融公庫から1500万円の融資を受けた。今年から厚生労働省が認定する基金訓練(雇用保険を受給できない人を対象にした教育訓練)の事業も始めた。
「手広くやらないと食べていけませんから。事業計画書では1年目で年商1億、3年で社員100人の予定だったんですけどね」
創業時に設定した自身の月収は50万円、ボーナスは年額200万円。
「半年後、自分の報酬の半額カットを決めた。今は月25万円、ボーナスなし。家族への仕送りがどんどん少なくなって。たまに『生活できない』と言ってますけど、ない袖は振れない」
早期退職前の年収は1700万円。それが今や300万円。金策に走り回る日々だ。それでも会社を畳んで東京に戻る気はないという。
「チャットのコールセンターは日本に1つもないんです。誰もやっていないことをやりたかったから楽しい。それに寒い地方の出身なので、年中暖房の心配をしなくていいのはありがたいし、何しろ人が温かいですから」
チャットのコールセンターは聴覚障害者の雇用にも一役買う。聴覚障害者に特化した職業訓練システムをつくり上げるという目標もある。かりゆし姿の一瀬さんは、笑顔で繰り返した。
「なんくるないさ(何とかなるよ)」
※すべて雑誌掲載当時