東京朝日新聞の連載小説で全国に広がった

ただ、ひとつ付け加えておけば、室町時代後期から始まる動詞の五段活用とそれにともなう助動詞「る・らる」の活用の変化(「ら抜き」への傾向)は、京、大坂、江戸などの都市部で拡大し、それが次第に地方に及んでいくことになります。

これが、一気に広がるのは大正時代から昭和初期です。川端康成の初期の作品『浅草紅団』は昭和4(1929)年12月から東京朝日新聞夕刊に連載されたものですが、絶大な人気のあった、ちょっとした探偵小説です。

この中で、川端は「ら抜きことば」を連発します。もちろん、この後の川端のベストセラー『伊豆の踊子』『雪国』なども「ら抜きことば」でいっぱいです。おそらく、「ら抜きことば」を全国に蔓延させたのは川端の小説だったのではないかと思われます。

「ら抜きことば」は「日本語の乱れ」と言うのであれば、それは川端に責任があるのかもしれません。でも、ぼくは、川端の責任だとは言いません。「ら抜きことば」という現代日本語の現象は、室町時代後期から次第に起こる日本語の変化によって、生じたことだと知っているからです。

平安時代後期まで「父」は「ティィティィ」だった

現代日本語では「はひふへほ」と書いて「ハヒフヘホ」と発音しますが、まだ〈ひらがな〉や〈カタカナ〉がなかった頃の『古事記』、万葉の時代、日本人は「万葉仮名」で「波比富辺保」と書いて「パピプペポ」と発音していたのでした。「ハヒフヘホ」という喉から出す音は日本語にはなかったのです。

また、平安時代後期(『源氏物語』が書かれる頃)まで、「サシスセソ」と言えず「ツァツィツゥツェツォ」、「タチツテト」が言えず「ティァ、ティィ、ティゥ、ティェ、ティォ」と発音していました。

「父」は「チチ」ではなく、「ティィティィ」と発音していたのです。

さて、発音が変わっても「さしすせそ」「たちつてと」という表記に変化はありません。人間の性格が何かの影響でまったく変わったにもかかわらず、外見は何も変化がないようなものです。ところが、外見がサッパリしたら、その人の性格がまったく変わってしまったという場合もあります。

日本語も書き方が簡単になったら、意味がまったく変わってしまったという例があります。