絶望の沼にズブズブとはまり込むのに、時間はかからなかった。再び「死にたい」と思うようになり、精神病院に入院した。うつ病だった。頑張れば成果が目に見えたリハビリと違い、うつ病は長引いた。寄せては返す波のように良くなったと思えば悪くなり、入退院を繰り返す。家計は苦しく、一度使ったラップを洗って再利用していた時期もあるという。
それでもやめられなかったのが、めだかの飼育だった。20歳の頃、たまたまホームセンターで買った黒めだかが卵を産んだ。卵から孵っためだかの色が微妙に違うことに気づき、「なんで?」と調べ始めるも、その当時、めだか飼育の本格的な専門書がなく、答えがわからなかった。
それで、探究心に火がついた。調べを進めると、めだかは白、黒、黄の3色がベースになっているとわかった。この3色はグラデーションになっていて、個体ごとに薄さや濃さが異なる。「ということは、メダカを掛け合わせることでいろいろな色を表現できるのでは?」と閃いた青木さんは、繁殖に没頭。顔面けいれんの時も、うつ病の時も、その火だけは消えることがなかった。
「妻が今でも笑い話で言うんだけど、6畳ぐらいの部屋に30から40ぐらいの水槽があってね。妊娠している時、つわりで水槽が臭いと言って吐いていました。でも楽しくて、止められなかった」
めだかがもたらした転機
2004年、うつ病の療養中だった青木さんは、症状が好転したタイミングで、めだか情報専門のウェブサイト「めだかやドットコム」を公開した。20歳の頃から蓄積してきたノウハウを公開すると同時に、青木さんの技術によって誕生した珍しい色のめだかの写真を掲載した。
「その頃もまったく動けなかったんですけど、稼がないと家族を食わせられないじゃないですか。だから情報サイトを作って、そこで多少稼ごうと思って。働いてないって人に言えないから、元気なふりをしながら運営してました」
数カ月後、ウェブサイト「めだかやドットコム」は毎月数十万PVを記録するようになった。掲示板にもさまざまなコメントが寄せられ、活発なやり取りがかわされた。こうしてあっという間にめだかファンが注目するサイトになると、「当時、全国に数店しかなかった」という大手めだか販売店から年間50万円ほどでバナー広告が入るようになった。そのほかにも約10社から広告が入り、年間150万円が青木さんの主な収入だった。
しばらくするとメディアにも取り上げられ、取材や講演の依頼がくるようになった。少しでも収入を増やすため、うつ病の薬を飲みながら必死に対応した。