いじめやパワハラは、なぜなくならないのか
精神科医は、もともと警察や弁護士などとの接点が多いのですが、学校の先生との関わりも増えています。いじめをきっかけにうつなどの精神疾患を引き起こす子どもも多いからです。2021年度のいじめの認知件数は61万件を超え、過去最多になったと発表されましたが、これはあくまでも認知件数ですから、氷山の一角だろうと思います。実際はもっと多いでしょう。
いじめは、子どもの学校だけでなく、大人の社会にもあります。パワハラやセクハラです。そして、いじめとこうしたハラスメントには、さまざまな共通点があります。
加害者がゼロになれば、いじめやハラスメントはなくなるわけですが、いくら法律や制度が整備されてもなくならないのが現実です。加害者は、自分の行為がいじめやパワハラやセクハラになっているという認識がないからです。
「いじめやハラスメントは、やってはいけない」。これは子どもも大人も知っています。知っていながらやってしまうのは、「自分の行為に対して相手がつらい思いをしている。いじめ/ハラスメントと受け止めている」ということがわかっていないためです。共感力が圧倒的に欠如しているのです。
自分の行為によって目の前の相手が、精神的に苦痛を受けていることを感じ取れない。だから加害者は、「みんなでふざけて遊んでいただけ、いじめてはいない」「いじめではない。相手が悪いんだから」「指導の一環ですよ。そんなにひどいことはしていません」「コミュニケーションで、ちょっとふざけただけです」などと反論します。そのロジックは、いじめもハラスメントも驚くほど似ています。
こういった人は罪悪感が全くないので、周りから叱られたり注意されたりしたぐらいでは、何も響かないし、自分の行為と向き合うこともしません。「自分は悪くない。そんなふうに受け止める相手が悪い」と、正当化し続けます。
なぜ共感力が欠如してしまうのか
では、こうしたいじめやハラスメントの加害者は、なぜ人の苦痛に共感できないのでしょうか。
もちろん生まれ持った個人の特性もあります。生まれつき明らかに、共感力が欠如している人や下がっている人もいます。しかし、多くは環境要因によるものです。
つまり、これまでの人生の中で、人を攻撃するような行為について、「それはいじめやハラスメントではないのだ」と思えるような体験をしているのです。