ネット上の書き込みは、「世間の声」として紹介されることがある。しかし、そうした「ネット世論」には、深刻な偏りが見られるという。『いいね!ボタンを押す前に』(亜紀書房)より、国際大学の山口真一准教授とエッセイストの小島慶子さんの対談を紹介する――。
若い男性のスマートを使用して電話のソーシャル メディアの概念
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Twitterでネガティブ発信するのは40万人に1人

【小島】ネットの書き込みって、あたかも“世の中の声”であるかのように見えてしまうんですよね。それが多くの人を不安にさせています。誰が書き込んだかもわからないようなものが、本物の世論のように見えてしまう、これはなぜなんでしょうか。

【山口】私の研究では、例えばネット炎上で、Twitter上でネガティブな発信をしているのはユーザー全体の0.00025%に過ぎないことがわかっています。これはおおよそ40万人に一人ですから、すごく少ないですよね。ネット炎上をサンプリングして分析したなかには、15人くらいしかネガティブなことを書いてないようなケースもありました。しかも同じユーザーが何回も書いてるわけです。

あるサイエンス・ライターの方が誹謗中傷を受けて裁判を起こしたら、被告の男性というのはTwitter上に200以上のアカウントを作って攻撃していた。こういうことがざらに起こっています。アカウントを200持っている人は珍しいですが、一人が同じようなネガティブな発言を100回書くなんてことはごくふつうにあります。そうすると、ごく少数の意見があたかも世論であるかのように見えてしまう。

ネット上では「極端な人たち」しか見えない

【山口】人は、基本的には自分の見える世界でしか物事を判断できません。例えば、あることについて300人くらいの人が騒いでいる。でも他の人たちはそれに興味がない、あるいは支持しているけどそれをあえて発信することはしない。

反対意見を言ったら自分が攻撃されるかもしれないと思う人もいる。表現の萎縮ですね。そういうサイレント・マジョリティ、声をあげないマジョリティの人たちがいるわけです。しかし、ネット言論空間のなかでは、ノイジー・マイノリティの人たちだけが可視化されているので、あたかもその人たちがマジョリティであるかのように見えてしまう。これがまさに「人類総メディア時代」の肝となる部分です。

SNSというのは、人類が初めて経験する能動的な発信しかない言論空間なんです。世論調査は訊かれたから答えるという受動的な発信だから、社会の意見分布に近いんですね。あるいは、いま私たちがしているような会話には言葉のキャッチボールがあるので、能動的な発信と受動的な発信の両方が含まれます。

これに対して、ネットは基本的には自分が言いたいから言うだけの空間であって、そこにはモデレーターもなく、発信をストップさせるような人もいない。だから、極端な意見や攻撃的な意見を発信することがすごく簡単にできる。私の研究では、極端な意見を持っている人のほうがネット上で大量に発信していることがわかっています。