的確な対処で大惨事は防げたが

この事件はディープフェイクが戦争に用いられた最初の例だが、それを見事に火消した好例でもある。テクノロジーメディア「ワイアード」の記事によると、ウクライナ政府の戦略的コミュニケーションセンターは、ゼレンスキーがロシアへの降伏を発表しているように見せかけた偽動画をロシアが作成している可能性に早くから気づき、備えていたようである。

ゼレンスキーは、事件が起きた後、SNSで速やかに訂正情報を自ら発信した。そのため、偽ゼレンスキー動画にだまされて投降するウクライナ人が出ることを防いだ。そして、その迅速な対応は、プラットフォーム事業者の速やかな対応を促した。

人類史上初のディープフェイクの戦争利用は、幸いにして大惨事を防ぐことができたのだが、これがもっと精度が高いディープフェイクだったらと思うと背筋が凍る。政治指導者のディープフェイクは、今後ますます高度化することが懸念される。

AIが描いた絵画が品評会で優勝

2022年は、生成AIのブームが巻き起こった年として記憶されるだろう。「生成AI(Generative AI)」とは、入力データから新たに別のデータを作り出すAIのことで、画像、音声、自然言語などの分野で盛り上がりを見せている。文章で指示を与えると、プロの画家が描いたようなクオリティの絵画、歌手のような自然な歌声、新聞記者が書いたような記事が自動で生成される。

笹原和俊『ディープフェイクの衝撃』(PHP新書)
笹原和俊『ディープフェイクの衝撃』(PHP新書)

特に画像分野では、「ダリ(DALL・E)2」や「ミッドジャーニー(Midjourney)」などの高性能のAI画像生成サービスが次々と発表され、話題となり、生成した作品をSNSに投稿するユーザが激増した。例えば、「an astronaut riding a horse(乗馬する宇宙飛行士)」というテキストを画像生成AIに入力すると、リアルな絵が1分もかからずに生成される。AIの想像力を感じるような絵である。

特に印象的な出来事は、2022年8月に米国コロラド州で開催された美術品評会で、画像生成AIが生成した絵画が優勝したことである。この作品を提出したのは、米国のボードゲームメーカーのCEOを務めるジェイソン・アレンである。

彼は、画像生成AIの1つであるミッドジャーニーを使って、100枚以上の絵を自動生成し、その中から3枚の絵を選んで、さらに、画像編集ソフトのフォトショップ(Photoshop)を使って微調整を繰り返して、作品を完成させた。そして、提出した3つの作品のうちの1つ「Theatre D'opera Spatial(宇宙のオペラ座)」が優勝を勝ち取った(提出の際、アレンは作品の制作にミッドジャーニーを使用したことを開示していたが、2人の審査員はミッドジャーニーがAIプログラムであることを知らなかった)。