屋形船の前社長が「側近から要求され渡した」と証言

篝火かがりびに浮かぶ飼というのは情緒ある京都の夏の風物詩である。

伝統のある鵜飼は天皇家と縁が深く、「『日本書紀』神武天皇の条に残されているのは、鵜飼の起源とされる記述だ。律令制以前の日本では天皇に献上するにえの猟として行われ」(週刊文春2月9日号)ていたそうだ。

その鵜飼の屋形船を運営する会社の前社長が「使途不明金を賠償せよ」と訴えられ、裁判が行われているという。裁判の過程で、前社長のX氏が、「秋篠宮の側近から100万円を要求され渡した」と証言したと、文春が報じているのである。

日本学術振興会賞と日本学士院学術奨励賞の授賞式であいさつされる秋篠宮さま=2023年2月7日、東京都台東区の日本学士院[代表撮影]
写真=時事通信フォト
日本学術振興会賞と日本学士院学術奨励賞の授賞式であいさつされる秋篠宮さま=2023年2月7日、東京都台東区の日本学士院[代表撮影]

一民間企業の経営者から多額の金銭が、その側近を経由して秋篠宮に渡っていたとすれば、秋篠宮家の家名に傷がつきかねない。経緯を見てみよう。

側近というのは奥野卓司氏で、文化人類学者で、公益財団法人「山階鳥類研究所」の所長だった人物だ。研究所の前身は、昭和天皇のいとこで鳥類学者の山階芳麿氏が1932年に設立した「山階家鳥類標本館」である。

秋篠宮が20歳になって初めて、公的な肩書として就任したのが、この研究所の総裁だったそうだ。学習院大学時代は、彼のライフワークであるナマズ研究のために何度も通い、今も月1回程度、オンラインで会議に参加しているというのだ。

10羽以上の鵜が病死したことを聞きつけ…

数多くの肩書を持っている秋篠宮だが、実際に活動しているということでは“別格”の存在だそうだ。秋篠宮は総裁、奥野氏は所長という関係だが、2人は2009年に共著を出していて、秋篠宮が発足に尽力し、常任理事だった「生き物文化誌学会」でも奥野氏は理事を務めているそうだから、親しい関係にあることは間違いないようである。

X前社長の話に戻る。彼がいた「嵐山通船」(京都市右京区)は創業1909年という老舗で、船頭たちが主な株主。近年の売上高は1億5000万円前後で推移していたという。

X氏が社長に就任したのは2017年1月だが、この年、感染症の流行で10羽以上の鵜が病死してしまったそうだ。

窮状を聞きつけた地元の宮司が奥野氏をX社長に紹介したという。2人は、感染症対策を強化した新しい鵜小屋の建設と、鵜飼文化の振興を目的に2018年2月に、一般社団法人「嵐山鵜飼観光文化振興協会」を立ち上げ、奥野氏は副理事長から、翌年には代表理事に就任している。

2018年秋には鵜飼協会が京都府の許可を受け、鵜小屋の建設もスタートしたそうだ。