1990年代、私がナイキの社外取締役をしていたころ、「広告でマイケル・ジョーダンに何十億ドルもお金を払っている一方、インドで子どもにボールをつくらせているのはけしからん」と批判が渦巻いた。インドは義務教育が当時は小学校くらいまでで、アメリカで中高生に当たる未成年が働いてもチャイルドレイバー(児童労働)には該当しなかった。ただ、法的な議論以上に直視しなければいけないのは、インドでは子どもが働かないと家族が暮らしていけないという現実だろう。

1日の生活費1.90ドル以下を絶対的貧困ラインと呼ぶが、インドではそのラインを下回る人が1億7000万人いる。親は働く気があっても、まともな就職口がない。そこで子どもをたくさん産み、少しでも早く働かせようとする。つまり、子どもは家計を支える労働力なのだ。

日本の親も子を単なる労働力としてしか見ていなかった

かつては日本も同じだった。特に農家は働き手として子どもが必要で、戦前はきょうだい10人という家庭も珍しくなかった。しかし、家を継ぐのは長男だけ。次男以下は成人するとむしろ“ごく潰し”とさげすまれて、家を追い出された。戦後、次男以下が集団就職で都会に出て工員となり高度経済成長を支えるが、そのころまでは日本の親も子を単なる労働力としてしか見ていなかった。

ところが経済発展して親の生活が豊かになると、子の役割が変わっていく。親は子どもに「自分より豊かになってほしい」と考えて教育投資を始める。かつては家族みんなで雑魚寝して、みかん箱で適当に勉強させていたが、子どもに個室と勉強机を与え、塾にも通わせる。子は親の生活を支える存在から、自身の将来のために親の金を使う“金食い虫”に変わったのだ。

子が投資対象になれば、産む人数を絞って1人当たりへの投資額を集中させたほうが有利である。かくして先進国で少子化が進んでいったわけだ。

少子化は先進国に共通する課題である。しかし、ヨーロッパには持ち直している国もある。たとえばフランスの合計特殊出生率(15〜49歳の女性の年齢別出生率を合計したもの)は1.83、スウェーデンは1.66だ(ともに2020年)。一方、日本の合計特殊出生率は1.30(2021年)と低水準だ。日本の人口を維持するために必要な合計特殊出生率(人口置換水準)は2.07と言われているから、人口減少と超少子高齢社会化に歯止めはかからない。人口はそのまま国力につながるし、生産年齢人口が減少すれば国家が衰退することは言うまでもない。

同じ先進国なのに、出生率が回復しているヨーロッパ諸国と日本は何が違うのか。