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視聴者「数千万」の前では仲間内の常識は通用しない

新年を迎えるにあたり、人々の印象に残る言葉を発したいと願うのは人間の素直な感情です。しかし、時には組織の不利益や自らの進退にも影響しかねないコメントやメッセージには、よくよく注意が必要です。

会議場で聴衆の前で演説をする認識不能なビジネスマン
写真=iStock.com/baona
※写真はイメージです

2022年11月には、当時の葉梨康弘法務大臣が、パーティの席上で法相の職務を、「朝、死刑のはんこを押して、昼のニュースのトップになる」「そういうときだけという地味な役職だ」と発言し、炎上しました。その後発言を撤回し、謝罪しましたが、結局は閣僚辞任に追い込まれました。岸田文雄内閣で総務政務官に任じられた杉田水脈氏は、過去にLGBTカップルを「生産性がない」と断じるなど問題発言の多い政治家ですが、総務政務官就任後にそうした姿勢が大批判を浴び、22年末に政務官を辞任しました。

政治家に限らず経営者も、時に失言をきっかけに進退を問われます。古くは00年に雪印乳業が集団食中毒事件を起こした際、対応に追われた当時の石川哲郎社長が、追いすがる報道陣に対して「私は寝てないんだよ!」と発言し、大炎上しました。

22年には牛丼チェーン吉野家の常務が、若い女性をターゲットにした集客を「生娘シャブ漬け戦略」と名付け、これまた大炎上。「田舎から出てきた右も左もわからない女の子を無垢・生娘のうちに牛丼中毒にする」という時代錯誤な女性蔑視発言は、それが「デジタル時代のマーケティング総合講座」での発言だったこともあり、歴史に残るブラックジョークと化しました。

なぜ、こうした「失言」はなくならないのか。原因は3つ考えられます。

①「個人」としての発言が「組織」の信頼度に及んでしまう。
②世間一般の感覚と個人の感覚の間に、大きな「ズレ(乖離)」が生じており、それに気づけない。
③「仲間内の発言」がマスメディアに載ったとき、質的に激変することを理解していない。

1つずつ確認しましょう。まず①。「どうお考えですか」などとマイクを向けられたとしても、それは「個人」ではなく「組織に属する人間」としての発言が求められているのだということをしっかり意識すべきです。よくあるのは「一個人として発言したつもりが、会社組織に迷惑をかけた」パターンです。非公式の場であっても、メディアは「完全なる個人」とはみなしません。後から「個人としての見解でした」と注釈したのでは遅いのです。

たしかに僕らコメンテーターもかなりきわどい発言をします。しかし時には「炎上」を狙って大胆な発言に及ぶ態度も、僕らは完全な「個人」として活動しているからで、そこが組織人とは異なる点です。僕らの発言が数千人もの社員の生活を変えたり、組織を傷つけたりすることはない。最悪の場合でも、「個人が干されて終わり」です。