死を意識したときに「本来性」を取り戻す
さて、「現存在」は、ずっと「気遣い」に囚われたまま生きていかなければなりません。そして、そういう状態であることに「現存在」の不安があります。
そして、この不安は自分が「ヒト」(das Man)でしかなくなっていること、他の人と代替可能な、そのへんにいくらでもいるたんなる「ヒト」(これは「世人」と翻訳されていることもあります)であることに気づくことから生まれてくるものなのです。
なぜ不安を覚えるかというと、「ヒト」であることが人間として自分の本来の姿でないこと、つまり非本来的であることに漠然と気づくからなのです。
今までのようにだらだらと非本来的な生を送ることを「頽落」(Verfallenheit)とハイデッガーは呼びます。多くの人は、ふだんは頽落の日々を送っているのです。
そして「現存在」という本来性に気づかせてくれるのは死なのです。死だけは、他の事柄のように誰か他人が代わりになることができない、徹底してそれは自分だけの死であり、本来的なものだということになります。
したがって、「現存在」は生まれたときから「死へと向かう存在」(Sein zum Tode)なのです。
そして、自分の死を意識したときに「良心の呼び声」(Stimme des Gewissens)が自分をその本来性へと目覚めさせ、本来性へと自分を投げ入れるきっかけを与えてくれるのです。
本来性へと自分を投げ入れることを「企投」(Entwurf)と術語化しています。ハイデッガーはまた、本来的なあり方をしていることを「実存」と呼んでいます(ですから、サルトルのいわゆる実存主義が使う実存とは意味内容がかなり異なります)。
「現存在」は実は最初から死とかかわりあっているのですが、ふだんの生活で「ヒト」として頽落している間は、良心からの呼び声が聞こえてこない。死を意識したときになって初めて自分自身というものに目覚めるのです。
なぜならば、良心は「現存在」に本来の実存を「了解」するようにほのめかすからです。良心は「現存在」に事実を開いてみせるものであり、良心のその呼び声は「本来性を奪い返せ」という「指令」なのです。
ですから、ハイデッガーが使う意味での良心は、一般的にいうところの良心ではないということです。
世界的影響とナチス党員問題
『存在と時間』は未完です。当初の予定では存在一般についても書かれるはずだったのですが、「現存在」について書かれた部分、予定の3分の1程度で終わってしまっています。
にもかかわらず、刊行されるとすぐに国際的に評判が高まりました。
近隣のヨーロッパ人同士が殺しあう第一次世界大戦が終わって既存の価値観が破壊されたのを実感した世界の人々には人間とは何なのだろうかという深い疑問があり、そこに『存在と時間』に書かれた死を意識したときの「良心の呼び声」という謎めいた表現が深遠に響き、何かを教えてくれるかもしれないと期待したからかもしれません。
一方、ハイデッガーは哲学者シェーラーから多くの考えを無断で引いていると批判する学者もおり、哲学者ルドルフ・カルナップ(1891~1970)にいたっては、ヘーゲルやハイデッガーは言葉を適切に使用できていないから述べていることは無意味でしかないと批判しています。
確かに人間の死について書くにしても、造語を多用するばかりか、次のように意味の濁った迷走した文章を記しています。
なお、『存在と時間』はフランスで実存主義を提唱することになったサルトルに特に大きな影響を与え、サルトルは『存在と無』というタイトルの著書を出しています。
ハイデッガーには妻子があったのですが、マールブルク大学で助教授をしていた頃に学生のハンナ・アーレントを愛人とし、二人の交流は彼女の死まで続きました。
また、ハイデッガーはフライブルク大学総長になったときにナチスに入党しました。第一次世界大戦での膨大な賠償金を命じられていたドイツを根底から社会変革しようというナチスの考え方に賛同したのです。
ナチス党員であったことを彼はのちに責められていますが、ハイデッガーの実人生にも思想にも全体的に差別的な傾向があったのはいなめないでしょう。
いつまでもフランス人をドイツ人よりも下に見ていましたし、著書の『時間と存在』の中でも、気分のままに生き(ているように見え)る一般人を「非本来的」な生を送っているヒトと一方的にみなしているからです。
1889~1976 帝政ドイツのバーデン大公国の南部にある小村メスキルヒの教会の家屋管理人で樽桶職人の家に生まれる。フライブルク大学神学部に入学。哲学博士号取得。1919年、フッサールの助手を務めながら教壇に立つ。マールブルク大学で助教授。1928年、フライブルク大学教授。1933年の春から約1年たらずフライブルク大学総長、ナチス入党。86歳没。