突然の監督、部長の解任のワケ

ところが東海大菅生は、1月26日になって若林弘泰監督と部長の解任を発表した。そして翌日に東海大菅生の2年連続5回目の春の甲子園への出場が正式に決まったのだ。

若林監督らの謹慎処分で一件落着となったはずだったが、それ以降も東海大菅生に対する非難の声は止まらなかった。

そこで学校側は、この状況を打開するために若林監督と部長を解任したのではないか、いわゆる「トカゲのしっぽ切り」なのではないか、そう思われても仕方がないところだ。

不祥事の責任は学校にもある

若林弘泰監督は、東海大相模高、東海大、日立製作所を経て1991年投手としてドラフト4位で中日に入団、引退後、2007年から東海大菅生の指導者になった。2009年に監督となったが、以後、激戦区の東京にあって春2回、夏2回の甲子園出場を果たしてきた。

その著書『叱って伸ばす』(2021年、竹書房)によれば、高校、大学と厳しい指導者の下で育ち「昭和のスタイル」で「人を叱って発奮させることで伸ばす」野球で身体だけでなく精神力も鍛える野球指導を続けてきた。プロでも星野仙一監督などに厳しい指導を受けた。

筆者は神宮球場の夏の予選で、東海大菅生の試合を何試合か見たことがあるが、試合前に気合を入れたり、相手にきついヤジを飛ばすなど「昭和の野球だな」と思った印象がある。

週刊文春』の最新号(2月2日号)によると東海大菅生では暴力指導が常態化していたという。若林監督がこうした「オラオラ野球」でチームを強くしてきたのは間違いがない。しかも若林監督は昨日今日入った指導者ではなく、監督になってから14年も経過していたのだから、学校側はこの指導方針を少なくとも「容認」していたはずだ。

だとすれば、暴力沙汰を理由に若林監督らに責任を押し付けるのは、理不尽な処分だと言えるのではないか。

前述のように「高校、大学野球に関する処分を決定する機関」である日本学生野球協会の審査室会議が「謹慎4カ月」の処分を決めたのだから、それに被せて処分を受ける筋合いはないともいえる。

若林監督と部長は「地位保全」を求めて訴訟を起こしても良いのではないかとも思う。