家康が向かった意外な場所

三河物語』では「我ら家臣たちは松平家に対して絶対的な忠誠心をもっていたのだ」といったように書かれてもいます。

ですがこうした、家康が偉くなったあとに書かれた記述を、そのまま受け取るのは危ないものです。

たとえば「桶狭間の戦い」の〈その後〉の状況を考えてみましょう。

当時はまだ松平元康だった家康は、今川義元に大高城に兵糧を運びこむように命令された。それでともかくも現地に赴いて、見事に任務を成功させます。

しかしその大高城で、義元の戦死と、今川軍が壊滅的な大打撃を受けたことを知る。このときの家康には「今川領の駿府に帰るか」、あるいは「父祖の地、三河の岡崎に戻って独立するか」というふたつの選択肢があった。

彼が結局、今川と別れ岡崎に戻るという決断をしたことは、ご存じの通りです。

しかし家康は岡崎には戻るのですが、実はそのまま岡崎城には入っていないのです。どう考えても防御力は城が一番高い。ですから、まずはなにがあってもとにかく岡崎城に入るのがふつうでしょう。

しかも、岡崎には彼の帰りを首を長くして待っている三河武士団がいるはずなのですから。「おーい、戻ったぞ」と胸を張って帰還し、忠実な武士団が「殿様、よくぞ帰ってくださいました!」と感涙にむせぶ再会シーンになるはずです。

しかしこのときの家康は岡崎城には入らず、先祖代々のお墓がある、今の岡崎市内にある大樹寺というお寺に行くのです。

大樹寺三門(写真=CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)
大樹寺三門(写真=CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

主君を襲う三河武士

大樹寺に入ったあとも、安心して滞在していたわけではない。敵が攻めてきたらどうしようと心配もし、実際に家康の首を狙って武士たちが襲ってきた。大樹寺には僧兵的な存在もいたので、彼らが一生懸命防戦して追い払ってくれましたが、家康はご先祖様たちのお墓の前で腹を切る覚悟まで決めていたといいます。

ここで襲ってきた敵は、さすがに織田の軍勢ではないでしょう。織田の軍勢が桶狭間を通り過ぎて、三河まで攻めてくるはずがないのです。

では家康が想定していた敵とは誰か? 実際に来た武士たちは誰か? というと、これは三河武士そのものではないか。

だからこそ彼は、岡崎城に入っていない。そうすると主人を慕う三河武士、主従の麗しい絆なんてぜんぶ嘘だったじゃないかという話になるわけです。