自力では社会的支援にアクセスできない母親たち

検察官からの尋問が続く中、なぜここで生活保護の提案につながらないのか疑問に思った。彼女の収入ならば公営住宅に住み、児童手当も児童扶養手当ももらえるはずだが、申請していない。こういう手当があるとは説明を受けたようだ。

「ああそうなんだって思った」

収入に応じて保育料は軽減されるが、その申請もしていなかった。生活保護なら実質、無料になったはずだ。のんちゃんは、3歳児健診も未受診で、コロナウイルスのまん延で保健師の訪問は延期している。いくつも社会的な支援があったはずなのに、そこからすべり落ちて、最悪の結末へと向かっている。さらにコロナによって収入も激減し、家賃も払えなくなった。元夫の母は「生活費は足りてますか」と連絡。振り込んでもらったお金は家賃で消えた。

「息抜きしに出かけたかった。遊びに行きたかった」

という理由で、被告は旅行に出かけた。

「本当は行きたくなかったけれど、行くと約束してしまったし、行くしかなかった」

交際相手に子どもがいることをどうしても言い出せない

「なぜ同じことを繰り返したのか」という質問には次のように答えている。

「帰宅した後、自分何やっているんだろうと後悔しました。のんちゃんを一緒に連れて行っていい? とは聞けなかった。いつもごめん。こんな自分が、弱い自分がつらい。一人にしてごめん。ずっと一緒にいたいのに、こんなうちでごめん」

涙声だった。

「どこかのタイミングで子どもがいることを言おうとは思わなかったのか」
「いざそうなると言えないんです。相手に否定的なことを、なぜか言えないんです」

収入がないから、やり方を教えてもらってスロットに出かけるが、稼ぐところまではいかない。友達の紹介でアルバイトのロも入ったが、時間帯が合わなくて働いてはいない。旅行の前日、元夫の母からLINEが入る。

「何か足りないものあったら言ってね」
「申し訳ないんですが、子どものものをください、ってお願いしました。これは勇気を出して言ったことのひとつです」

変わり果てた我が子の姿を見て、彼女が電話をしたのは元夫だった。必死に心臓マッサージをしたが、のんちゃんは戻ってこなかった。

「マッサージをしたとは思いますが、覚えていない――」