日本最大の繁華街・歌舞伎町には多数のホストクラブがある。そこに通い詰める女性たちは、どうやって高額の料金を支払っているのか。ノンフィクションライターの中村淳彦さんがリポートする――。

※本稿は、中村淳彦『歌舞伎町と貧困女子』(宝島社)の一部を再編集したものです。

若い女性が新宿歌舞伎町
写真=iStock.com/Page Light Studios
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焼け野原から日本最大の繁華街に成長

歌舞伎町は戦後の焼け野原から始まっている。

戦前、現在の歌舞伎町は角筈つのはず一丁目という地名だった。古地図はいまも鬼王神社に飾られている。

焼け野原となった戦後、当時の町会長が角筈一丁目に歌舞伎劇場をつくって、娯楽地域として復興しようと計画した。角筈という地名から娯楽地域はイメージしづらい。町会長の提案で町名変更が検討され、1948(昭和23)年、予定されていた歌舞伎劇場にちなんで「歌舞伎町」と町名変更がされている。

戦後にヤクザが仕切るヤミ市が生まれたのは、新宿が最初だといわれている。新宿西口一帯、南口周辺に露店が集まってヤミ市マーケットが形成された。しかし、GHQ(連合国軍総司令部)から1950(昭和25)年3月末までの撤去を命令されて、多くの露天商や台湾人は歌舞伎町に移ったという。

昭和30年代に日本最大の繁華街となった歌舞伎町は、娯楽地域として復興を目指した地元町内会の尽力と、ヤミ市から流れて来た台湾人や露天商の力によって形成されていったとされている。

現役風俗嬢に「ホス狂い」の実態を取材

歌舞伎町一丁目にある焼肉店で安部里穂子(仮名、30歳)を待つ。

安部里穂子は北新宿で暮らす現役風俗嬢で、SNSで歌舞伎町やホス狂い、夜職女性について積極的に発信している女性だ。「焼肉を奢ってくれるなら行きます」とのことだった。

この焼肉店に隣接するのは、かつてノーパンしゃぶしゃぶ「桜蘭」があった商業ビルだ。桜蘭は1998年の大蔵省接待汚職事件の舞台となった店で、当時風俗ライターだった筆者は行ったことがある。

2時間2万円の料金で隣にノーパンの女性がついて国産牛や野菜を鍋に入れてくれる、という飲食店だった。女性従業員がパンツを履いていないだけの店だったが、「歌舞伎町」や「ノーパン」のイメージが悪かったことで、繰り返し報道されて大騒ぎとなった。最終的に大蔵官僚7人が逮捕、起訴された。

「いちばん安い肉でいいので、6人前注文していいですか?」

安部里穂子はメガネをかけた理知的な女性だった。やって来て挨拶すると、すぐにそう言う。彼女は精神疾患のひとつである過食嘔吐を患っていて、とにかく大量に食べるようだ。