中国のトップを目指し、あえて地方へ

さらに、父親が元副総理という出自を考えれば、北京で十分な出世は望めるにもかかわらず、地方勤務という道に進んでいる。

「中央にとどまることで人民が背を向けるようになる」

この頃から、中国のトップ(中国共産党総書記)の地位を目指していた習近平は、あえて河北省で地方勤務の第一歩を踏み出したが、その際も中央とのパイプを保ち、常にその動きに注意を払っておく重要性も理解していた。

習近平は、父親の人脈に加えて自らの人脈も構築し、2002年、浙江省の党委員会書記に就任すると、輸出を飛躍的に増やして同省の高い経済成長を実現させた。

2007年には、上海市汚職事件の収拾を急ぐ当時の国家主席、胡錦濤に見出されて上海市党委員会書記や、9人(現在は7人)しかいない中国共産党の最高幹部、中央政治局常務委員に抜擢され、翌年の全人代では国家副主席にまで昇進した。

徳川家康のようなしたたかな戦略家

ここまでの生き方は、戦国武将に例えれば徳川家康である。

三河の大名の子どもとして生まれながら、人質生活を余儀なくされ、織田、豊臣時代をひたすら耐えながら軍事力と経済力を蓄えた生き方を彷彿させる。

習近平もまた、思春期に苦労を味わい、成長してからは地方勤務の役人として、ゆくゆくは自分の力で強い中国を作る野望を持ちながらも、それを誰にも悟らせることなく、したたかに準備を進めてきた戦略家である。

2012年11月、習近平が中国共産党総書記に選出されたときですら、「これといって目立つ特徴がないのが最大の特徴」と言われたほどだ。

それが、総書記の地位に昇りつめるや、自分のことを抜擢してくれた一派をことごとく切っていった。2022年10月の中国共産党大会で、江沢民一派を一掃し、大会の途中で胡錦濤を外に連れ出したことはそれを象徴する出来事と言える。そして周りを盟友や側近で固め、強固な一強体制を築いていったのである

それは、父親である習仲勲の昇進と落日を目の当たりにし、毛沢東の強さと怖さを肌で感じてきた経験から得た処世術であろう。

権力を持つことの意味と失うことの意味を身に染みて感じている習近平が中国の頂点に君臨し続ける限り、アメリカをはじめ自由と民主を普遍的な価値観として共有する国々との軋轢は、軍事衝突のリスクもはらみながら、今後ますますエスカレートしていくに相違ない。言い換えるなら、日本有事の危険性は続くということである。