熊はなぜ人間を襲うようになるのか。ノンフィクション作家の中山茂大さんは「日本最悪の獣害事件・三毛別事件の加害熊は、事件の前に『人間の味』を覚えた可能性がある。まず男児の味を知り、次に女性の味を覚えるといった風に、食の嗜好を変化させたのではないか」という――。(第1回)
※本稿は、中山茂大『神々の復讐』(講談社)の一部を再編集したものです。
三毛別事件の加害熊に「前科」はあったのか?
日本におけるヒグマ獣害事件の中で、もっとも有名かつ凄惨な事件が、大正4年12月に発生した「三毛別事件」である。
7人(一説では8人)もの犠牲者を出し、かつ被害者の1人が妊婦であったことなどから、ショッキングな証言が数多く語られた、日本史上最悪の獣害事件である。
その経緯は吉村昭の小説『羆嵐』(新潮社)ほか、ネット上でも多数公開されているので、ここでは取り上げない。
だが、今でこそ広く人口に膾炙した同事件も、年月を経るうちに徐々に風化していった。
この事件について、まとまった物語として発表されたもっとも古い記録は、筆者が調べた限りでは、昭和4年発行の林業誌『御料林』1月号の上牧翠山による随筆「熊風」である。
事件から14年を経てまとめられた貴重な記録だが、残念ながら、その内容には事実誤認がいくつかあった。
次に、昭和22年刊行の『熊に斃れた人々』(犬飼哲夫、鶴文庫)に詳細な記述がある。
こちらも事件の経緯をつまびらかに追っているが、発生年を大正14年としていたり、襲われた児童の家族関係などに、若干の不正確が見られた。
そこで現地調査を重ね、生き残った村人や関わりのある人物から丹念に取材して、事件の全容を初めて正確に再現したのが、木村盛武による『慟哭の谷』(共同文化社、平成6年)である。
この木村の仕事により、三毛別事件の顛末は、ほぼ完全に明らかになったと言えるだろう。
しかしそれでも大きな疑問が残されている。
それは、「加害熊に、前科はあったのか? なかったのか?」という疑問だ。