デモする人は「謎の人たち」と思われている

評論家のみなさんは、「日本社会の沖縄への敬意が薄れてきている」「沖縄メディアや本土の左派メディアの偏った印象操作がもう限界にきている」……なんて感じで天下国家の話に持っていっているが、これをシンプルに「口ゲンカ」と捉えると、以下の日本人の国民性が勝敗を分けたと考えている。

《大多数の日本人は「抗議活動」や「反対運動」に対してアレルギーがあって、あまりいい印象がない》

不快になる「市民」の方もたくさんいらっしゃると思うが、座り込み抗議などせず、最後まで話を聞いていただきたい。

今回の炎上でひろゆき氏が圧勝できたのは、「基地反対運動」というものが一体どういうものかを理解している人がそれほど多くないということが大きい。多くの日本人にとって、座り込み抗議やデモというのは、ニュースを通して見るだけなので、そこに関わる人たちのことを「何をしているのかよくわからない謎の人たち」と捉えている。理解されていないので、ひろゆき氏がコケにしても擁護する声が少ないのだ。

ただ、ここで誤解なきように言っておくと、「理解されていない」からと言って、それが「正しくない」というわけでもない。むしろ、基地反対運動をしている人や、シンパの人たちの立場にたてば、「間違っている」のは、ひろゆき氏なのだ。

「座り込み」は「24時間そこにいること」ではない

今回の「0日にした方がよくない?」発言後、現地で基地反対派の女性がひろゆき氏に「24時間していないと座り込みと言わないという定義がどこにあるんですか」と詰め寄ったところ、ひろゆき氏はこう反論をした。

「辞書に書いてあります。座り込みで検索したら出てくるんで早く調べてくださいよ」

だが、これは厳密には誤りだ。辞書にはそんな座り込み期間の具体的な「定義」はない。さらに言ってしまうと、国内外の社会運動側の常識的には、「座り込み抗議」というのは「ずっとその場で座り続けること」とイコールではないのだ。

自宅から「通勤」するように抗議対象の場所へ向かって、その場で何時から何時と時間を決めて座り込む。それが終わったら帰宅して、食事をして、風呂に入って寝る。そしてまた次の日も同じことを繰り返すということが、はるか昔からコンセンサスが取れた「座り込み抗議を続けている」ということなのだ。しかも、必ずしも毎日続けなければ「アウト」というものでもない。