「おい、おまえ」と呼ばれる厳しい世界

両親は、もし高校を辞めるならその後は自己責任でやりなさい、というスタンスでした。ですから、生きていくためには仕事を得て、自分で収入を得る必要があったのです。

とはいえ、何のスキルもない中卒の少年には、当然、職業をえり好みする余地などありません。日雇い労働者の募集を見ては現場に足を運び、「きみ、今日から働く?」と言われたらそのまま働かせてもらう。それしか選択肢がなかったのです。

僕が若いころの日本、とくに東京は、もしかしたら今よりもさらに激しい学歴社会だったかもしれません。大学を出ているかどうか、どのレベルの学校を出ているかによって社会のヒエラルキー(階層)がつくられていることは、10代の僕でもすぐに理解できました。中卒の自分は「松浦弥太郎」という名前ではなく、「おい、おまえ」と呼ばれる世界。

でも、僕は「ここで働くか?」と言ってくれたすべての現場で、一生懸命に働きました。ただ仕事があることがありがたくて仕方なかったのです。なぜなら、お金をいただけることはもちろん、自分を必要としてもらえているということですから。

これで人のお役に立てる、社会に参加できるということが、純粋にうれしかった。今の自分にはこれしかないんだと藁にもすがる思いで、手を抜かず、全力で仕事に打ち込みました。

プラスアルファの働き方で重宝されるように

それだけではありません。僕は、与えられた仕事をこなすだけでは満足できず、どうやったらもっとここでお役に立てるだろうかと必死で考えました。

どうすれば目の前にいる人たちによろこんでいただけるだろうかと、プラスアルファの働き方を意識したのです。

たとえば、工事現場で働いていたときは、課せられた作業員としての仕事を完璧にこなすのは当たり前として、僕は現場をきれいに保つことも自分の仕事だと考え、実行していました。ゴミが落ちていたらすかさず拾う。道具の整理整頓に努める。ほこりやおがくずが目に入れば、すぐにホウキで掃く。

そんなふうに周りをよく見て手を動かしつづけた結果、「あいつがいる現場はきれいで仕事がしやすい」と評判が立ち、重宝されるようになりました。それでいろいろな現場に呼んでいただけましたし、どこへ行ってもとてもかわいがってもらえました。