第24代自民党総裁 谷垣禎一(たにがき・さだかず)
1945年生まれ。72年東京大学卒、79年司法試験合格。83年衆議院議員初当選。国務大臣、産業再生機構担当大臣などを経て、小泉内閣で財務大臣、福田内閣で国土交通大臣などを歴任。
温厚、情が深く、有能なのに謙虚。政界で谷垣禎一氏を悪く言う人はまずない。しかし「いい人」というのは政治家に対しては褒め言葉であるとは限らない。押しの弱さ、優柔不断というリーダーにとっての欠点にも相通ずるからだ。だが、先の衆議院選挙で歴史的敗北を喫し、空中分解寸前の自民党が選んだのは、こういう調整型の総裁だった。
有力候補と目されていた人物がつぎつぎ不出馬を表明するなか、「誰かが捨て石にならねばならない」と悲壮な決意で出馬した。老人はベンチに下がれと叫び、党を根本から変えるべきだという若手対立候補を抑え「これまでの基本路線を維持しつつ、全員野球で党を立て直す」と訴え当選した。
東大卒後、弁護士となったが急逝した父、谷垣専一・元文相の後援会に請われる形で政界入り。高い実務能力とスマートな物腰で当初からホープと期待された。経済・金融政策通として先の金融危機に当たって手腕を振るい、小泉政権では財務大臣を3期にわたり務めている。その人柄は、2000年の「加藤の乱」で玉砕覚悟で森内閣への不信任票を投じようする加藤紘一氏を涙ながらに引き留めたことからもうかがえる。06年の総裁選で落選して以来、2回の総裁選を見送った。権力や地位への執着が政治家としてなさすぎる部分は否めない。だが、火中の栗を拾ってくれと請われると嫌とは言えないのである。
「総裁の仕事の大半は若手を育てること」と語った。おそらく、自らが首相になる野心もカリスマもない。しかし自民党を与党に返り咲かせることのできる若き首相の器を育てるという仕事であれば、この情に厚い、見返りを求めずに汗かくことを厭わない「いい人」こそ適任なのかもしれない。