渡米当初は「高校生レベルの打者」と酷評された
私は、エンゼルス番記者として約10年間活動してきました。
ということは、たとえば2002年ワールドシリーズ制覇を果たした名将、マイク・ソーシア監督の本を書くことも可能でした。あるいは通算本塁打700本が間近のアルバート・プホルスもいましたし、MVP3回受賞の生え抜きスーパースター、マイク・トラウトの本を書くこともできました。
しかし、彼らは他にもいる「名監督」「名選手」なのですよ。大谷翔平は二刀流という、前例といえばベーブ・ルースしかいない分野に挑戦する、そして二刀流の選手としてはすでにルースを超えている、メジャーリーグの歴史の中でも完全に孤高で特別な存在なのです。
2018年2月のスプリングトレーニングにおける大谷翔平は、投打ともメジャーのレベルに達していないのではないかという疑念が渦巻いていました。実際に匿名ながら「高校生レベルの打者」だと酷評したスカウトもいるありさまでした。
しかし3月のシーズン開幕と同時に大谷はそんな懐疑派を実力で黙らせてしまいました。そんな彼の姿を見て私は大谷翔平を題材とした書籍『SHO-TIME 大谷翔平 メジャー120年の歴史を変えた男』を書き始めました。
手術後7カ月は一切ボールを投げられない
すぐに落胆の日がやってきます。2018年6月に大谷は肘を故障、同年10月にトミー・ジョン手術を受けることになりました。それまで書きためていた原稿も止まってしまい、出版社からの連絡も途絶えてしまったからです。
トミー・ジョン手術とは、投手が内側側副靭帯(UCL)の断裂に直面した際に行われる移植手術です。最初に手術を受け、復活した投手の名前がそのまま残っています。手術後にも、リハビリで一年以上の時間が必要になります。
手術の直後は三角巾(スリング)をつけることになりますが、しばらくすると日常生活は送れるようになります。しかし投球はできません。投手にとって、投げることができないのは人生の全てを奪われたのと同じです。手術後は、少なくとも7~8カ月は一切「ボールを投げる」ことはできません。キャッチボールすらできない、そんな日々が一年以上続くことがどれだけ滅入ることか。
「打者でもあること」が精神的な救いに
しかし、大谷翔平が一つほかの投手と決定的に違うことがありました。「打者でもある」ということです。翌年にあたる2019年スプリングトレーニング終盤にはもうバットを振り、打撃練習を再開することができていました。5月10日ごろには打者として完全にメジャーの試合に出場できる状態まで仕上がっていました。
二刀流には前例がないわけですから、身体にかかる負担も非常に大きいのですが、精神面で考えると完全に野球を奪われたわけではないですから、よかったと言えるかもしれません。
ただ、大谷翔平はやはり投打の両方をできてこそ大谷翔平なのです。打者のみに絞られた2019年シーズンには打者の実力を測る上で大きな目安となるOPS(打撃指標数)、つまり出塁率と長打率を足した数字が一割近く低下してしまいました。