人々の記憶に残るのはあなたの最後の印象

通常の心理療法では、自分を大まかに理解するのに10年もかかる場合があります。けれども、死に直面したとたん、人は自分のことを即座に理解し、行動を起こせるようになります。自分、あるいは家族がそうだと思っていた人物像が完全に変わることもあります。

アナ・アランチス『死にゆくあなたへ 緩和ケア医が教える生き方・死に方・看取り方』(飛鳥新社)
アナ・アランチス『死にゆくあなたへ 緩和ケア医が教える生き方・死に方・看取り方』(飛鳥新社)

そして、人々の記憶に残るのは最後の印象だけです。死ぬ前のふるまいが、その人の印象として残るのです。あなたが嫌々仕事をしていて、それを態度に出していたり、浮気をしたあげくパートナーへの不満を並べ立てたりしていたら、あなたはそういう人として周囲に記憶されます。

病気になれば、時間に対する認識は大きく変わります。おそらく、何かを待つ時間が永遠にも感じられるでしょう。何かを待つのはとても難しいのです。何もできないと、人は生きている実感を得られません。

「私はもう何もできないの? 私にできることは何もないの?」

治せない病気を抱えると、できるのは死を待つことだけです。死を待つことは、死ぬことよりも難しいのです。

できることをやり尽くしたとき、人は祈る

フランスの精神科医ウジェーヌ・ミンコフスキー(1885~1972)は、著書『生きられる時間』(みすず書房)の中で、時間の3つの「二重性」について説明しています。

ひとつ目の二重性は、待つことと行動することです。何かを待つとき、人はその結果にかかわることができません。待つことは、痛みを感じながら時間を認識することなのです。

ふたつ目は、欲求と希望です。欲求とは、もっていないものを欲することであり、希望とは、待つことを楽観的なニュアンスで表現したものです。待つことは、つねに未来に向けられた行為ですが、希望の場合はそうとは限りません。すでに起こったことに対しても、人は希望をもちます。たとえば、あなたが生体検査の結果を待っているとします。すでに終わった検査の結果を待ち、自分ががんでないことを希望します。希望を抱いているあいだ、痛みはやわらぎます。

三つ目の二重性は、私が最も大切にしている、祈りと倫理的行為です。祈りとは、自分の内にある大いなるもの――神聖な存在、神性、神――とのコミュニケーションとして説明されます。大いなるものとのコミュニケーションは、私たちに力を与えます。できることはやり尽くしたと思えたとき、人は自分を超えるために、自らのなかにいる強力な何かとつながろうと決め、祈ります。祈りは、よりよい未来を見据えて行われます。