阪神の監督から社会人野球・シダックスのGM兼監督に
2003年1月8日、シダックスGM兼監督としての新生活がスタートした。
平日は世田谷区玉川田園調布の自宅を出て、新宿のヒルトン東京に宿泊することになった。自宅から練習場となる調布市内のグラウンドへ車で向かうには、渋滞が避けられず、到着時刻が読めないからだ。
新宿から調布なら距離は離れるが、高速道路で約30分。通勤時の混雑とは逆方向となり、楽に行ける。
マネジャーの梅沢とは、毎朝午前10時にヒルトンのロビーで待ち合わせることに決めた。上下ジャージ姿。赤いスタジャンを着て、梅沢の運転する黒塗りのセドリックの後部座席に乗り込んだ。
調布インターチェンジを出ると、2年前に開場したばかりの東京スタジアムが見えてくる。
この巨大な競技場に隣接する調布市営の少年野球グラウンドが、シダックスの練習場だ。自前のグラウンドではない。
第二次世界大戦中、調布飛行場建設のために切り開かれ、戦後は米軍に接収されたエリアである。1963年からは米軍の軍人とその家族らの居住地区「関東村」となった。74年、国に返還され、一帯にはスポーツ施設や病院等が建てられた。
そんな経緯もあり、チーム関係者はグラウンドを「関東村」と呼んでいた。
砂埃が舞う中、セドリックが関東村の砂利道に現れると、ナインの間に緊張感が漂った。
到着するとすぐさま、梅沢が後部座席のドアを開ける。野村は車を降り、ゆっくりとグラウンドへ歩を進めた。
「おはようございます!」
待ち構えたナインが腹の底から大きな声であいさつした。
「1通も新年のあいさつが届かなかった」
訓示が始まった。
チームが進むべき新たな道筋とは。都市対抗出場に向けてやるべきこととは。打者なら1日300スイング。投手ならチェンジアップやフォークなどの落ちるボールを習得すべし。吹きすさぶ寒風とは対照的に、野村の口調は徐々に熱を帯びていった。
「人間的成長なくして技術的進歩なし」が野村の持論である。
いつしか話題は野球から離れ、選手たちの年末年始の習慣へと及んだ。
「この正月、君たちからは1通も新年のあいさつが届かなかった」