原理原則に合わない勉強をしている人が多い

各科目の本質を、自分の頭で考えて判断、実践する。これが、原理原則に基づいた勉強法です。とても理にかなった、ある意味「当たり前」の方法です。

しかし実際のところ、それを実践していない人たちが、非常に多いのです。

中学生や高校生の皆さん。数学の公式や解法を「暗記」していませんか?「この問題はこのパターンで解ける」と、機械的に当てはめてはいないでしょうか。

その方法でも、一定のレベルまでは通用するでしょう。しかしある段階で、きっと解けなくなるはずです。それは「理解」とは別物だからです。

はたまた、英語の勉強を、最低限の単語や文法を覚えるにとどめ、長文を読むときに「推理」で乗り切ろうとしていませんか? そのやり方では、どんな文章も「虫食い」状態。知らない単語が登場するたび、推測や想像で補わなくてはなりません。そんなところに思考を使うのは、非効率ではないでしょうか。

偏差値の高い学校に通っているような、いわゆる「できる子」の中にも、そうしたやり方をしているケースがしばしばあります。なぜ、確実性の高い「原理原則」のやり方から、こうも多くの生徒が離れていってしまうのでしょうか。

教室で勉強をする学生
写真=iStock.com/urbancow
※写真はイメージです

人は易きに流れる

そこには、いくつかの理由があります。

一つ目の理由は、いたってシンプル。原理原則に基づく勉強は、「すぐに結果が出ない」からです。

数学の公式を、ひとつひとつ「なぜそうなるのか」まで掘り下げたり、多量の英単語をひたすら覚えたりするのは、とても地道な作業です。それでいて、最初のうちはなかなか点数に反映されません。

ならば、「数学はあれこれ思考するより、公式を丸覚えしてしまおう」「英語は暗記にとらわれないで、前後の文脈で推理してしまおう」と、考えてしまうわけです。

そもそも、暗記という作業が「楽しくない」ことが困りもの。

英語で求められる暗記量は膨大ですが、つまらないし、やりたくない。だから「推測でお茶を濁そう」という気持ちが起こります。逆に、数学で求められる暗記量はわずかです。だから、「いくつかのパターンだけ丸覚えすれば、なんとかなりそう」と思ってしまいます。

要は、楽に流れたい心理が働くわけですね。でも……。

再び、当たり前のことを言います。

暗記すべきものが多い教科は、多く暗記をすべきです。

暗記すべきものが少ない教科なら、暗記に頼らず、思考すべきです。

理に適った方法でアプローチすることが、最終的に、良い学びにつながるのです。