トイレの設置状況を誰も把握していなかった
また通水して水洗トイレが使えるようになったり、避難生活を送る人が少しずつ減ってくると、設置から撤去の要望へと移っていく。
当時の状況を、神戸市環境局の担当者の記録から紹介しよう〔北尾進(神戸市環境局計画課)「阪神・淡路大震災トイレット事情」より要約〕。
撤去でまず問題となったのは、当初混乱の中でトイレの設置を進めたために「どこの避難所にどのようなトイレが何基設置されているのか」を記録した完全な資料がなかったことだ。
仮設トイレは神戸市だけでなく、兵庫県や自衛隊、それにボランティアが設置したものもあり、すべての仮設トイレを市が把握するという形になっていなかった。そのため、汲み取りに行ったときにトイレの種類と基数をチェックしながら進めていった。
次に問題になったのは、撤去した仮設トイレの「保管場所」である。仮設トイレ1基当たりおよそ1坪のスペースが必要だが、この保管場所が厄介な問題だった。自治体などから提供された組み立て式トイレは、撤去してから洗浄して返却する必要があり、一時的に保管や洗浄のための場所が必要だが、台数が多いために用地の確保が問題となった。
排泄環境を整えることの重要性が浮き彫りに
大都市を直撃した未曾有の災害で、トイレの重要性が初めて認識されたといえる。人間が生活する以上、排泄物とごみが発生する。排泄できる環境を整えてその処理を適正に行わなければ、生活環境はたちまち劣悪化し、健康の悪化に直結する。
避難所では体育館等の出入り口など寒い場所に、高齢者が多く避難していた。その理由は「トイレが近い」ためである。飛行機や列車に長時間乗るとき通路側を選択するのと同じだ。また当時の学校などのトイレは和式がほとんどで、仮設トイレもほぼ和式である。
仮設トイレは構造上段差が大きい。そうした理由から「トイレの利用を控える」人が多く、そのために水や食べ物をできるだけとらないという人も少なからずいた。車いすで使えるトイレや介助できるようなトイレもほとんどなかったので、高齢者のみならず体の不自由な人にとっては、トイレは避難生活の最大の問題で、生死を分ける問題だったといっても過言ではない。