驚いたことに、文法のテストで私はいつも上位だった。度の強いメガネをかけ、厳しくて皮肉屋の先生、ミセス・イーヴンソンがよく言った。
Look at Mitsy.
ミッツィを見てごらんなさい。
「英語をうまく話せないのに、文法のテストは満点近いんですよ」
ほめられているのか何なのか、微妙だが、先生もクラスメートもびっくりしている。
前置詞や冠詞の使い方がわかっていないアメリカ人が多いことに、私は逆に驚いた。文法の知識は、かなりいい加減だ。
文法があやふやでも、文脈で意味は通じることが多い。私たち日本人も、日本語の文法がきちんとわかっているとは限らない。「食べれる」の「ら」抜きのように。
でも、英語の環境で生まれ育っていない私たちにとって、文法はゲームのルールのようなものだ。ルールを知っていれば、それにしたがって表現を増やしていける。応用がきき、会話の幅が広がる。
留学中、私は日記を書いていた。最初は日本語に英語が交じる程度だったのが、1カ月もするとすべて英語になった。こなれない表現もあるけれど、文法はほぼ正確だ。
英語の授業でミステリー小説を読んだ時、誰も犯人を当てることができなかった。私が恐る恐る手をあげ、犯人を当てた。私の読み書きの力は、それまでに受けた日本の英語教育が基礎にあったから、ここまで伸びた。
慣れないうちは耳から入る英語が雑音に聞こえたし、ボキャブラリーが足りなかったものの、文法はしっかり頭に入っていたから、混乱はなかった。
中学・高校の6年間の英語学習、詰め込みの受験英語は、大いに役に立っていた。
授業中に私が何より驚いたのは、隣の男子生徒にこう聞かれた時だ。
Hey, how do you spell absent?
ねえ、absentのつづり、教えて。
冗談かと思ったら、本気で私の答えを待っていた。
私の英語をみんなが笑った
Forget it.
もういいから。今、言ったことは、忘れて。
高校留学中、何よりつらい友人のひと言が、これだった。
英語がわからなくて、What do you mean?(どういう意味?)と聞くと、そう返ってくる。英語圏で生活しながら、英語が理解できなければ、すべてに自信をなくす。
一対一で話している時は説明し直してくれることも多いけれど、グループで話が盛り上がっている時に、ついていけない私にいちいち説明するのは面倒だし、場もしらける。雰囲気を壊したくないので、最初のうちはそう言われると、黙ってしまった。
留学して2カ月くらいたった頃、アメリカ人の友人4、5人とピザを食べに、車で30分ほどの町に向かっていた。後部座席で私が眠っている、と思ったのだろう。友人たちが、私の英語について話し始めた。