皮膚を切り、臓器の間を進み、患部に到達するまでは“作業”

よく勘違いされるのですが、私自身は手術そのもので脳を使うことはほとんどありません。いつものペースに持ち込んでしまえば、迷いの生まれる二択に追い込まれることはない。私の中では、皮膚を切り、臓器の間を進み、患部に到達するまでは“作業”なんですよ。手術ではない。極端な話、そこまではロボットにやらせてもいいし、医者ですらなくてもいい。本当に大事なのは、患部をきちんと治し、それにより健康を取り戻すことです。

心臓血管外科医 天野篤氏
撮影=藤中一平
心臓血管外科医 天野篤氏

自分が不得手なこと、拒否反応があるもの。そういった場面に直面したとき、脳は糖を消費し、疲労を覚えるのです。頭で考えなくても、無意識的にできるところまで高めておく。目をつぶってでもできるようにしておく。そうすれば脳はそもそも疲れることがありません。

中学の頃に習う英単語や因数分解でも、うんざりするほど基礎の反復をやるでしょう。これが大事なんですよ。そのときに重要になってくるのが指導者の人間。英語や数学の授業がなぜ退屈だったかというと、教える側が「なんのために繰り返すか」を理解しないまま教えていたからだと思うのです。

スポーツでもそうでしょう。試合前のルーティンやデータチェックなど、「事前の作業」をきちんとやっておく。こういう事前の作業や基礎の反復を続けられる人が、野球なら高い打率を残せるし、他の分野でも結果を出せると思うのです。

実は、今日も一件手術があったのですが、「器械出し」という作業を担当する看護師が若手だったんですね。そういう日は、オペに必要な器材がすぐに出てこないこともある。指導者はもちろんいますが、なんとなく体が「今日は気をつけないといけないな」と拒否反応を示すことがあります。すると周りも引きずられてしまい、気遣う場面が増えてしまうわけです。

本筋とは外れた周りのことに頭を使うと疲れてしまいます。そういうときには手術中に必要になりそうなものはすべて事前に準備しておいてもらい、待ち時間のストレスをつくらないようにする。私は中学生や高校生向けに講演をすることがあるのですが、よくこんなことを聞きます。

「今までの人生の中で、明日テストでもいいと思って受けた経験のある人いる?」

すると、「ある」と答える子がほぼいないんですよ。おそらく大人も同じです。山本五十六がしきりに言っていたことに「常在戦場」という言葉がありますが、「いつでもいいよ」と言えるくらい、すべてに対して準備ができている現代人は、ほとんどいないのではないでしょうか。