帰沖と大復活祭、そして本土復帰50周年

「父がいう“才能”とはこういうことなんだと。それを目で見て理解できた時に初めて納得できたんです。自分に指導者の才能があるのか分からないけど、父がそういうなら、向き合ってみようって。そう思ってからは、父に言われたことはなんでもやってきました。父は認めないかもしれないけど、私は父の一番弟子だと思っています」

ダンスレッスンの様子
筆者撮影
14歳から父の指導と独学でインストラクションを身に付け、現在はAKB48やSKE48の振り付けも手がける

後述するが、アンナ氏はマキノ氏との不和からアクターズスクールとの関わりを一度断ち切っている。しかし、コロナ禍の2021年、再び沖縄に引き戻された。5月22日に放送された本土復帰50周年特番「NHKスペシャル『OKINAWA ジャーニー・オブ・ソウル』」では、マキノ氏のかたわらで、共にレッスン指導に当たるアンナ氏の姿があった。

はからずも、アンナ氏の“帰沖”と「大復活祭」のイベント企画が、復帰50周年の沖縄の節目に重なった。沖縄アクターズスクールを一時代の栄光では終わらせない、復活劇の幕開けをも予感させる。アンナ氏の歩んだこれまでの舞台裏を、インタビューした。

逃げるように去った沖縄になぜ戻ってきたのか

アンナ氏は2002年にアクターズスクールを辞めてから20年近く、沖縄から遠ざかっていた。当時31歳。父・マキノ氏が、それまでのタレント養成に加え、公教育のあり方を問うフリースクールの先駆けともいえる教育事業にビジネスを拡大。似て非なる分野にもかかわらず、経営トップとしてこれら2つを一体的に運営しようと突き進み、生徒や父母、スタッフたちの間に戸惑いが生じていた。現場を預かるアンナ氏の考えは一向に聞き入れられず、修復しがたいほどの亀裂となった。

もうここにはいられない――。アンナ氏は、生活の中心を占めていた大切なスクール生たちを置いて、逃げるように沖縄を離れた。自分の可能性を信じ、人生のすべてを懸ける思いでレッスンに打ち込んでいた生徒たちだ。どれだけ時間と労力を費やしても、目標に到達できる人はほんの一握り。万に一つの確率でデビューにこぎつけたその先にも、安堵あんどや平穏などない試練の日々がひたすら続く。

「ケジメをつけないまま辞めたことがずっと残っていて」

鍛えるべきは技術なのか、感性なのか、だれも正解を知らない。それでも諦めたくないという熱量を分かち合い、生徒たちの一心不乱の鍛錬にだれよりも寄り添っていたのは、アンナ氏自身だった。その後、指導者の要を失った沖縄アクターズスクールは、陽が沈むように表舞台から消えていくことになる。

あれから20年。沖縄を思うたびに、心を締めつけられた。