※本稿は、笹井恵里子『徳洲会 コロナと闘った800日』(飛鳥新社)の一部を再編集したものです。
「終わりが見えない」というかつてない状況
「救急医療で忙しいのは当たり前。だからどんなに患者さんが来ても、難しい症例があっても、それで疲れることはない」
湘南鎌倉総合病院ERの関根一朗の言葉だ。
だが、2022年3月に同院に取材に行くと、皆が疲れていた。あれほど生き生きと働いていた彼らが、光を失っているように見えた。関根は医師になって12年目、初めて追い詰められたと打ち明ける。
「毎年、ゴールデンウィークや年末年始はめちゃくちゃ忙しくなるけれど、終わりが見えているからそんなに疲れない。でも今年に入ってから、かつてないほどの疲弊を生んだのは、終わりが見えない中で忙しさが続いたからだと思う。
2リットルのペットボトルの水も少しの間なら持てるけど、数時間、何日も持ち続け、いつ下ろしていいかわからなくなったら、手が麻痺するでしょう。そんな感じで皆が麻痺して、自分だけじゃなく、疲弊した仲間を見るのがつらかった」
「ずっと160%で走り続けろと言っているようなもの」
同院救命センター長の山上浩も、ERで働く皆に負荷を強いることにやりきれなさを感じていた。
「これまでは連休中やその前後に混むことがわかっているので、そこの人数が多くなるようにシフトを組んでいたんです。ところが今年に入ってからは常に、過去最大の救急搬送が続いていました。だから普通のシフトで、今まで以上の労働負荷を続けるしかありませんでした。ずっと160%で走り続けろと言っているようなものです」
同院だけではない。全国の徳洲会病院の救急医療現場が大混乱に陥った。そして疲弊していった。コロナが直接の“原因”ではない。コロナが“きっかけ”で患者数が増え続けた。また、あちこちの医療機関が院内クラスターによって新規の患者受け入れを閉鎖してしまった。その結果、「断らない現場」は大きな波に呑み込まれ、パンクしてしまったのだ。