アメリカはその後、3年間にわたってタンホア鉄橋を寸断させようと、攻撃を試みたものの、橋は攻撃に持ちこたえた。アメリカの爆撃機が橋を損壊するたびに、北ベトナム側は橋を修復して交通を再開させた。1968年にアメリカが北爆の全面停止を宣言したことで、鉄橋への攻撃も一時停止された。その後、1972年5月に米空軍のF4ファントム戦闘機が第一世代のレーザー誘導弾「ペイブウェイ」26発をタンホア鉄橋に投下し、鉄橋の西側を使えなくした。そして同年10月6日に、最後の攻撃が実行された。4機の米海軍機から発射された誘導ミサイル「ウォールアイ」が、遂に鉄橋を完全に寸断することに成功した。

タンホア鉄橋の空爆は、アメリカにとっての近代戦のはじまりだった。当時のアメリカは、優先標的を破壊するのに十分な精密兵器も爆発規模も持っていなかった。タンホア鉄橋の破壊に苦労した反省から、爆発規模がより大きく、より精密な誘導が可能な複数の兵器が開発された。「一撃必殺」が新たな信念となった。1991年湾岸戦争での「砂漠の嵐作戦」までには、投下される爆弾の7%は精密誘導爆弾となっていた(ベトナム戦争時は1%未満だった)。同年のコソボ紛争における空中戦では、新たな(そして安価な)衛星誘導爆弾が、使用された兵器の35%を占めていた。2003年のイラク戦争までには、投下された爆弾の70%が誘導弾だった。

空軍は補佐役

誘導爆弾と並行して長距離巡航ミサイルの開発も進められ、アメリカはこれらの兵器を好んで使用するようになった(ミサイル1基あたり100万ドル超と効果なために使用は制限されるが)。イラクのサダム・フセイン大統領(当時)を罰する目的で始められたイラク戦争から、旧ユーゴスラビアでの空爆、そして2018年のシリア化学兵器施設に対する攻撃に至るまでの32年間で約2300発の巡航ミサイル「トマホーク」が使用された。

ロシア軍は、今回のウクライナ侵攻開始から85日間で、これとほぼ同じ数(5月23日時点で2275発)のミサイルを使用した。ロシアがウクライナの防空網を突破できない理由が、これらの(やはり高額な)長距離ミサイルに頼っているからなのかどうかは、まだ分からない。

ロシア空軍は地上部隊の補佐役の意味合いが大きく、より大きな戦略目標に資する独自の存在というよりも、各ミッションにおいて現場司令官の支援を行う存在だ。ロシア軍には、戦場の外にある「戦略的」な標的――本部や軍事施設、工業施設、石油・発電関連施設や輸送網――を攻撃する爆撃部隊があるが、そのような標的を確実に破壊するために、大量に使える比較的低コストの兵器(アメリカの衛星誘導弾のようなもの)の開発を行ってこなかった。