「お気持ちだけいただいておきます」という“神フレーズ”

さらに、送ってもらった服は一回着せて、スマホやケータイで写真を撮ってメールしてあげれば義姉の顔も立つのでは、という意見もありました。そのあとは“ほとぼりが冷めるまで”タンスの肥やしにしておけばいい。

それに「センスが違う」と思っているのは親のほうだけで、もしかしたら子どもはその服を気に入るかもしれません。そして、それ以降も送られ続けて困ったときには「せっかくのご好意なのに申し訳ないのですが」という気持ちを前面に出して、

お手間をかけるのが悪いから、お気持ちだけいただきます。そのお気持ちだけでうれしいので、どうぞお気遣いなく。

と頭を下げる。そうすれば「趣味が合わなかったかしら」「たくさんあって持て余しているのかしら」と、こちらの事情を察してもらえるでしょう。

「ありがた迷惑」「ちいさな親切、大きなお世話」という言葉があります。親切心や好意であることはわかるのですが、こちらにしてみれば困ってしまう、もっと言えば「いい迷惑なんだけど」というのは、普段の生活のなかでもままあること。

例に挙げた「子どものお下がり」、鮮度が悪かったり質のよくない生鮮食品のお裾分け(家庭菜園をやっている人にありがちですね)など、おせっかいな人というのはいつの時代にも、どこにでもいるものです。断わりたいけれど、どこか申し訳ない気がする。そんなときに使えるのが、

お気持ちだけいただいておきます。

という“神”フレーズなのです。

「孫の顔が見たい」と頻繁に自宅を訪ねてくる義理の両親

触らぬ神に祟りなし。君子危うきに近寄らず。もらっても困るもの、どう考えても過分なもらいもの、もらう筋合いのないもの、見返りを期待されているもの、異性からの下心ありげなプレゼント——こうしたいわくつきの贈り物も、もらわないに限ります。

こうしたもらえない贈り物を断わるときに、ただ「いただけません」「お返しします」では、要らぬ軋轢あつれきを招くだけ。ここでも「お気持ちだけいただいておきます」は最適。「気持ちだけで結構、物は不要です」という、丁重でありながらも明確な意思表示になります。

いつの時代も結婚には義理の両親とのおつき合いに関する悩みが付き物です。なかでも「孫の顔が見たい」を口実にして、しょっちゅうご主人のご両親が訪ねてくるという悩みを持つお嫁さんは少なくありません。

いくらよくしてくれる義父母でも、そうたびたびの来訪では気が滅入る。遊びに来ていただくのはいいのだけれど、そうそう頻繁にやってこられても気を遣うし、子どもを甘やかしすぎるし、困ってしまう。でも、「そんなに来ないでください」なんて、口が裂けても言えない。

乳児をあやす人たち
写真=iStock.com/maruco
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ご主人に相談しても、「孫がかわいくて会いたいんだろうからいいじゃないか」と取り合ってくれない。悩ましいところだと思います。

年配のお客さまで、お孫さんの顔を見るのが何よりの楽しみという方もいらっしゃいます。そうした話を聞いていると、一概に義父母に「来るな」と言うのは気の毒な気もしますが、悩んでいるのは「ものには限度がある」というケースでしょう。