人呼んで「銀河系一安い店!」。

2009年11月、家電量販店業界トップのヤマダ電機はビックカメラの牙城・池袋で大勝負に出た。約7000坪の売り場面積を誇る超巨艦店「LABI1日本総本店」である。12月には「同池袋モバイルドリーム館」(以前のLABI1池袋)もオープンし、この2館によってビックカメラ本店を挟み撃ちする陣形をとっている。まさに戦国時代の様相である。

ヤマダ電機の2009年度期末の売上高(連結業績予想)は1兆9680億円。驚くべきは、売り上げが1兆円を超えたのが05年であること。ほんの5年前の話なのだ。さらに歴史を遡れば、創業は1973年(群馬・前橋市)。00年に東証一部上場、02年にはイトーヨーカ堂から「ダイクマ」を買収と、急拡大してきた。最初は吹けば飛ぶような小さな街の小さな電気屋が、たった30年で王座に君臨した。今や、47都道府県にネットワークを築き、シェアを分捕り、日本列島を席巻したといって過言ではない。

しかし、絶好調のヤマダに試練の時がなかったわけではない。

高崎駅前にある本社のパーテションで囲われたメーカーとの商談コーナーが網の目状に遠くまで広がるフロアの一角で、社長・一宮忠男氏は語った。

「失敗? もういっぱいあります。失敗と成功の繰り返しです」90年代初め、「安値日本一への挑戦」を旗印に、隣県・栃木を地元とするコジマが、ヤマダの本丸であり完全アウエーの群馬に攻め入ってきた。折しも、モノが売れに売れたバブル景気が崩壊した直後。急転直下の不況で、売り上げはガタ減り。地域一番店ということもあり当時は激しい安売りをしなかったヤマダにとってディスカウンター・コジマの出現は痛手だった。しかも、ヤマダの販売管理費(人件費、家賃、光熱費、宣伝費など)が高かったため、利益はさらに減った。会社存続の危機に陥ったのである。