12月19日、渋谷のシダックスビレッジで行われた、志太の主催による送別会だ。
会の冒頭では志太が3年間のねぎらいとともに、はなむけの言葉を送った。
「野村さんをプロ野球界にお返しできてよかった。月見草なんて言わず、明るい太陽に咲く真っ赤なバラのように大輪の花を咲かせてほしい」
和やかな雰囲気だった。スーツ姿の教え子たちが温かい拍手を奏でる中、野村が登壇した。
知将はいつものようにボソボソと話し始めた。
あの野村監督が泣いている
監督就任から3年間の思い出。
2003年の都市対抗野球決勝における、野間口を続投させてしまった采配への後悔。
「人生は山あり谷あり。身につまされたのは、谷のところで仕事をもらったのに、志太さんに恩返しできなかったこと。シダックスを離れることになり、志太さんには本当に申し訳ない。お別れというのは非常に……」
次の瞬間。誰もが目を疑った。
野村が突然しゃくり上げた。スーツのポケットからハンカチを取り出し、目頭を押さえた。数秒の沈黙が訪れる。あの雄弁な名将が、言葉を失い、人目も憚らずに涙した。
各紙のカメラマンが慌ててシャッターを切った。ハプニングには慣れっこの彼らもまた、予想できない展開に戸惑っていた。
かつて直立不動でその言葉に聞き入った教え子たちは、ただそれを見つめるだけだった。
「お世話になりました……」
涙声を振り絞り、スピーチは終わった。
感情を露わにしない監督がなぜ…
野村が人前で見せた涙。
ヤクルト監督時代、3度の日本一に輝いたときも、笑顔でいたあの知将が。
司会席からその光景を見ていた梅沢は、こう述懐する。
「監督は普段、感情をあまり表に出さないじゃないですか。でも人生の恩人だった志太会長には、本当に深い感謝の念を持っていたんだなあと思いながら、私ももらい泣きしそうになるのを必死にこらえていました」