12月14日に東京都内で開かれた宇宙関連のイベントで登壇した野口聡一さんは、前澤さんに同行している平野さんに触れ、「長い訓練なしにどんどん彼のような人が宇宙に行ってくれるとうれしい」
ISSの長期滞在から11月に帰還した星出彰彦さんは、12月のオンライン記者会見で、「民間の方がこれからどんどん宇宙へ行く。そういう時代になった。宇宙を広く活用してもらい、人類としての文化が広がっていく」
さすがメディア対応を含めさまざまな訓練を重ねている宇宙飛行士。「うらやましい」などという言葉は出てこない。共存共栄を強調する。
「あの人は荷物と同じなんです!」
だが、JAXAや所管官庁の文部科学省となると、穏やかならざる気持ちだろう。現に、約30年前、前澤さんのような商業宇宙飛行をしたTBS記者の秋山豊寛さんに厳しかった。
秋山さんは1990年12月、TBSの創立40周年を記念する「宇宙へ特派員を派遣する」事業で、旧ソ連の宇宙ステーション「ミール」に滞在した。旧ソ連に払った旅行代金は公表されていないが、約40億円とも言われている。
秋山さんの宇宙からの第一声は「これ、本番ですか?」。当時、宇宙へ人を送りだしている国は米国と旧ソ連のみ。宇宙では英語かロシア語、という中で、初めて日本語が発せられた歴史的な瞬間だった。だが、日本政府の反応は冷たかった。
記者会見などの表立った場では静観していたものの、科学技術庁(現・文部科学省)幹部は、裏でこう言い放った。
「あの人はお金を出して、宇宙へ運んでもらっただけ。荷物と同じなんです!」
日本人初の宇宙飛行を前向きに受け止める官僚もいたが、庁内にはそういう空気が漂っていた。
初の日本人宇宙飛行は毛利さんになるはずが…
当時、科技庁と宇宙開発事業団(現・JAXA)は、国家プロジェクトとして日本人初の宇宙飛行士を実現させる計画を進めていた。輸送手段は米国のスペースシャトル。1988年に飛行予定だったが、シャトル爆発事故が起き、NASA(米航空宇宙局)が計画を見直した。その結果、初の日本人宇宙飛行となるはずの毛利衛さんより先に、秋山さんが飛行してしまった。
メンツをつぶされた科技庁のショックは大きく、悔しさをあらわにした。
「毛利さんは宇宙で科学実験をするという崇高な目的がある。荷物として運んでもらった人とは全然違うんです」