海に生きる漁師にとって死は身近だ。その不安を麻痺させるモノが笑いなのだとノンフィクション作家の星野博美さんはいう。
「漁師は、自然の恵みに頼らざるをえない。不漁が長引けば、陸で仕事をしなければならない。そんな時期、うちの祖先はコンニャク屋や床屋をやってしのいだようです。でも状況が変われば、また海に戻る。その見極めができるのが、漁師なんです」<町工場の娘であり、漁師の末裔である>星野さんの一族の屋号が、「コンニャク屋」。星野さんは一族の歴史を辿る。
きっかけは、千葉は外房の漁村で生まれ育った亡き祖父、量太郎(りょうたろう)さんの手記。祖先は江戸時代初めに、鰯(いわし)を追い求めて紀伊半島から房総半島へ渡ってきた漁師らしい。上京した量太郎さんは、五反田で町工場を持つに至った。<きっぷよし、面倒見よし>の量太郎さんの元に一族が集まり、どんちゃん騒ぎを繰り広げる。ほろ酔いの祖父は、幼い孫に花札や野球拳の手ほどきをして、こう話し聞かせた。
<徴兵検査の日、醤油を一升飲んで(略)見事に不合格。(略)いまじゃあ胃潰瘍よ。醤油は飲みすぎちゃあいけねえ>
漁師の血か。育った環境か。星野さんの語りもまた笑える。
「子どものころから、友だちに『変なヤツ』といわれて、気にした時期もあったんです。でも、これでいいんだ、と。だって、私は漁師の末裔なんだから」
しかし、話にはオチがある。
「親戚の船に乗せてもらったんです。けど酷い船酔いに苦しんで。『もう海はイヤだ。漁師の末裔じゃなくていいから誰か助けてくれ……』と。そのしょぼさが、現実なんですよ(笑)」
生活のための現実的な手段として「コンニャク屋」の人々は紀州から房総へ移った。時代の波を受けながらも、支え合って生きた。本書にも登場する徳川家康や井伊直弼、小林多喜二らの偉人とは違い、歴史に名を残したわけではない。
だが、記憶は語り継がれた。親戚たちは、約400年前、房総半島に漂着したメキシコ人たちをまるで見てきたかのように話す。聞きながら星野さんも、自分がメキシコ人を助ける漁民のひとりのように思えてくる。記憶を繋ぐのは、人と人の繋がりと感じさせられる場面だ。
誰にだって、戦争や大災害を生き抜いた祖先がいる。そして、いま自分が――。本書は、普段は意識しないそんな思いを呼び起こす。星野さんはいう。
「親戚たちの記憶に触れて少し気が楽になった。私も些細なことに執着しないで思ったことをやっていこう、って」