もう一つの毒親類型

前述の斎藤が見落としている毒親類型に、もう一つ重要なタイプがある。それは、親が親であることよりも、男や女であることを優先するタイプだ。子供と過ごす時間は面倒も見るし、教育費も出す。家事もするし、暴力を振るうわけでもない。が、不貞行為を働く。子供も年を重ねればわかってくる。女子だと小学校高学年から中学生、男子だと中学生から高校生の間に気がつくことが多かった。自分の親が仮面夫婦だとか、親が親を騙しているとかに。

「先生、うちの母ちゃん、不倫しているんだ。……親父は知らないけど」

と高校生男子から相談を受けたことがある。その子は、不倫はもう何年にもなるし、親と自分は違うから、と冷静に受け止めていたが、その事実を知った中学生のときは荒れた、と教えてくれた。学校教師としては、保護者を呼びつけて「不倫は止めなさい!」とも言い難い。彼らの話を聞くしかない。批判を受けようと切に願う、親になるときには、親になる覚悟を持って欲しい、と。

授業風景
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“微毒”親の問題

実は、この“猛毒”親と同程度に難しい存在が“微毒”親である。子供のことを愛していて、興味もある。食事も作る。しかし過去の親たちと大きく異なるのが、友達親子とか甘やかし過ぎの親の増加である。実は、高校生くらいの年代になると“猛毒”よりも、この手の親の方が厄介な面も多かった。高校生にもなると、“猛毒”を認知し、親と距離を取ることや反抗することもできる子が増えるのだが、“微毒”だと子供たちも搦め捕られていることが多いからだ。

彼らは文化祭や体育祭、授業参観となると学校に馳せ参じ、動画・写真撮影に勤しむ。そのための場所取りで他の保護者と険悪な関係になることも珍しくない。授業参観中に自分の子供に手を振り撮影のチャンスを狙う。そのことによって授業を中断させることになっても意に介さない。いつ、誰が、何のために見るのかわからない動画や写真を一通り収めると、スマホをいじり出したり他の親と、あるいは電話でお喋りを始めたりする。

現場の教員たちはその場を丸く収めるため、奮闘したり、柔らかい諫言かんげんを学んだりするが、厳しく注意はできない。このタイプの親が教育委員会や管理職にすぐにクレームを付けることを知っていて、彼らは保護者の意見に弱く、保護者への注意がブーメランのように自分自身に突き刺さることを知っているからだ。そして教員たちは正義を失い、上司に付和雷同する存在として完成していく。

ちなみに、かつて私が研修の講師を務めていた際、「時間は守るべき」と主張していた校長自身が遅刻してきた。「校長といえども時間は守って下さい」と注意したところ、研修終了後にすぐさま教頭が飛んできて、「あれはない。私は引いたよ」と叱られたことがある。生徒には「遅刻厳禁」と言っているにもかかわらず。