日本人はいつから孤独になったのか。神戸女学院大学名誉教授の内田樹さんは「コロナ以前から現代日本社会では孤独な人が増え続けていた。その背景には、自分が何者であるかを知る手立てが“ランキング”だけになったことがある」という。神戸大学大学院医学研究科教授の岩田健太郎さんとの対談をお届けしよう――。

※本稿は、内田樹・岩田健太郎『リスクを生きる』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

屋根の上に立ち街を眺めるビジネスマン
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ほとんどリモート会議になった教授会

【岩田】今日もよろしくお願いします。昨日、大学で教授会があったんです。教授になったばかりの外科の先生が、「教授になっても就任パーティすらできなくて寂しいです」とそのときしみじみ仰っていました。コロナ禍で、あらためて孤独を感じている人は多いようです。

【内田】そうなんでしょうね。

【岩田】僕はへっちゃらなんですけど。

【内田】岩田先生はもともと集団から離れていくタイプですから(笑)。

【岩田】最近の教授会は、ほとんどがリモート会議です。重要な案件の場合はリアルになって「久しぶりですね」とお互いに挨拶しますけど、会議が終わればそのままさっと帰ります。重要案件というのは、リモートではちょっと話しづらい議題。学生の不祥事などといった、不測の事態です。

【内田】「配布資料はその場に置いていってください」というのですね。

合気道には上下関係は生まれない

【岩田】外科の先生はいわゆる「体育会系」の方が多いのですが、そういう外科系の教授陣が典型的に、「面と向かって話さないと寂しい」というタイプなのでは、という気がします。いわゆる文科系に比べ、体育会系はコロナ禍でより大きなダメージを受けたのかもしれません。ところで内田先生の合気道は、体育会系って感じがあまりしませんね。

【内田】合気道はどちらかと言うと文系ですね。体育会系じゃないです。そもそも合気道は試合がないし。

【岩田】でも、柔道などは、かなり体育会系ですよね。同じ武道なのに不思議です。

【内田】合気道が体育会系にならないのは、たぶん試合がないからですね。勝敗強弱巧拙を競うという発想が合気道にはないんです。だから、上下関係が生まれない。道場では、昨日入会した人と30年続けている人も並んで稽古している。待遇に別に差別がありません。みんな同等です。

「掃除は下の人間がする」とか「先輩の道着を畳む」とかいうこともありません。師範である僕も門人たちと一緒にしゃがんで雑巾がけをします。門人同士は年齢にも年次にも関係なく敬語で話しています。先輩が後輩をつかまえてごちゃごちゃ説教するというようなこともありません。もし誰かを説諭しなければならないようなことがあったとすれば、それは師範である僕の専管事項です。僕以外の人間が他の門人に説教するのは越権行為ですから(笑)。