在米の華人エンジニアを国が地道にヘッドハント

その間にも台湾政府は、新竹サイエンスパークの整備、雇用政策、規制撤廃や法整備、投資環境の整備、技術者のための住居の整備、技術者子女の教育環境の整備などを国家事業として進めていった。1980年代、新竹サイエンスパークの周りには大きな別荘が数多く建築され、「帰国組」の住居として提供されていたことは有名な話だ。台湾政府の要人が足しげくアメリカに渡り、優秀な華人をヘッドハンティングして台湾に招聘しょうへいするという、涙ぐましい努力があったのである。

台湾・新竹サイエンスパークの管理棟
写真=iStock.com/BING-JHEN HONG
台湾・新竹サイエンスパークの管理棟

2010年ごろ、黃重球経済副大臣(当時)が訪日した際、筆者はプレジデント誌のために彼にインタビューを行った。「私は台湾を売り込むためのセールスマンです」と語る副大臣の姿を見て、台湾政治家の使命感と台湾経済の強さを実感したものだ。

また、こんなこともあった。当時、経済部は電子コンテンツ産業の育成を決定し、日本の電子書籍ビジネスに着目した。そこで筆者に日本の出版社の台湾招聘に関する依頼があり、実際に日本を代表する出版界の経営者数名に台湾を訪問していただいた。その際、総統府で馬英九総統(当時)との謁見えっけんが組み込まれていたのには、大変驚いた。

しかも、台湾の当時の元首である馬英九総統の口から、「日本の電子書籍・コンテンツビジネスの経験を台湾にも共有してほしい」と言われれば、訪問した日本企業側も安心し、心が動かされるもの当然だ。目の前で、台湾政府がどのように産業を産み、経済で国家を強くするのか。政治によって新しい産業が生まれるかもしれない瞬間を垣間見た貴重な経験だった。