電車に乗らないのはリスク管理の一環
リスク管理の一環として電車に乗るのをやめたお金持ちもいる。ひとつは「痴漢の冤罪を避けるため」である。日本では冤罪が起こりやすい。特に痴漢の場合には、被害者の証言がすべての根拠になるため、一旦加害者にされてしまうと無実を証明する手段がない。
健康管理という別の観点から電車に乗らないお金持ちもいる。投資ファンドを運営するある金融マンは、特に冬の期間、電車に乗ることを避けている。風邪予防と言うと、うがいやビタミン補給などが思い浮かぶが、彼の考えは違った。それは風邪予防の定説に疑いの目を持っていたからだ。彼は学術論文を検索し、風邪やインフルエンザの感染ルートを徹底的に調べた。すると、電車内における飛沫感染、吊り革やエレベーターボタンなどからの接触感染の割合が極めて高いことがわかった。要するに、不特定多数の人が集まり、接触するものが危険なのだ。
彼は冬の間の通勤をタクシーに切り替えた。タクシーも誰が乗るかわからないが、電車に比べればだいぶリスクは少ない。その効果は絶大で、いつも冬になると風邪を引いていたのが、タクシー移動に変えてからはほとんど引かなくなったという。
お金持ちが混雑を嫌うわけ
お金持ちで混雑、そして待つことを嫌う人は多い。お金持ちが待つ時間を嫌がるのは、おそらくその時間がもったいないからである。待たされるということは、自分の時間を浪費して相手に供与しているのと同じ。時間を浪費するくらいなら、お金を払ってその時間を買うほうがまだマシという考えだ。
行列に並ぶのも同じことだ。行列に並ぶのは、自分の時間を店側にプレゼントしているのだ。お金持ちにとって時間は売り買いできるものであり、できるだけ多くの時間を持っているほうがゲームを有利に進められると考えている。
ある実業家はさらに手厳しい意見を持っている。行列に並ぶのは「他人と同じであることを確認したいだけの後ろ向きな行為」であるという。多くの人は、ムラ社会で仲間はずれにされるのを極端に恐れる。行列に並ぶのは他人と自分は同じであるという確認作業に他ならないというのだ。この意見は傾聴に値する。
行列の先にはサービスや商品を提供する事業者が必ず存在している。行列に一生懸命並ぶということは、自分が完全に消費者の側に立っていることを意味している。「どうだ、面白いだろ!」という事業者に対して、行列という不便を味わってでも商品にありつきたい消費者。このようなことばかりやっていたのでは、いつまでもお金を貢ぐ側であり、貢がれる側にはなれないだろう。