投資で成功するには、どんな情報を参考にすればいいのか。10兆円の資産を築いた投資家ウォーレン・バフェット氏は「アドバイザーや格付け会社の助言には、まったく耳を傾けなかった」という。その理由とは――。

※本稿は、桑原晃弥『ウォーレン・バフェットの「仕事と人生を豊かにする8つの哲学」』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

1998年1月1日、自身が所有する米野球3Aチーム「オマハ・ロイヤルズ(現ストームチェイサーズ)」の試合に姿を著したバフェット
写真=Paul Fusco/Magnum Photos/アフロ
1998年1月1日、自身が所有する米野球3Aチーム「オマハ・ロイヤルズ(現ストームチェイサーズ)」の試合に姿を著したバフェット

ウォール街から離れても金融界で大成功

バフェットがグレアム・ニューマンを離れてオマハに帰り、1人でパートナーシップを立ち上げようと決断した1956年当時、本気で金融に携わろうとするアメリカ人がニューヨーク以外で働くというのはあり得ないことでした。

もちろんニューヨーク以外の地方都市にも証券会社はありましたが、どれも重要な役割を果たしてはおらず、少なくとも金融界で成功し、バフェットが望むような大金持ちになりたいと考える者にとって、ウォール街から離れる選択はそうした夢を捨てることさえも意味していました。

しかし、そんな当時の常識をバフェットは見事に覆しています。1957年にバフェットのパートナーシップに投資された1万ドルは、1969年には26万ドルとなる(『スノーボール(上)』)ほどの素晴らしい成績を上げただけに、『フォーブス』が「オマハはいかにウォール街を打ち負かしたか」という記事を掲載するのも当然のことでした。

なぜバフェットはたった1人で、ウォール街から遠く離れたオマハでこれだけの成功を収められたのでしょうか? そしてなぜウォール街は、バフェットほどの成果を上げられないのでしょうか?

バフェットはこう指摘しました。「これはたぶん私の偏見だろうが、集団の中から飛びぬけた投資実績は生まれてこない」(『ビジネスは人なり 投資は価値なり』)。