遵法精神は豊かなはずなのに自転車だけはデタラメ

いちばん腹が立つのは、自分自身が子どもを連れて歩いているときだ。幼い子どもの手を引いて(またはベビーカーを押して)安心して歩道を通りたいと思う。これは子育て中の誰にとっても普通の願いだと思うが、それを攪乱するのが、まさに自転車、なかでもスマホ自転車なわけだ。

彼らは歩道上の子どももお年寄りも何も見ていない。見ているのは手元の画面だけ。画面に何が映っているのかは知らないが、その楽しみのツケを、歩道上の弱者に押しつけているのである。

こんな状態が正常なはずがない。ところが、正常じゃない状態がもう何十年も続いている。

ことはスマホに限らない。昭和45年から構図は同じだ。

車道では「チャリ邪魔」、歩道では「ドケドケ歩行者」。当の自転車は無法。なんなんだこの状態は。

一般的に言って、世界一遵法精神が豊かなこの日本という国にあって、自転車交通だけが、デタラメ。それが日本の現状なのだ。

先進国でも途上国でも自転車は歩道を走らない

大前提を言おう。ヨーロッパの自転車先進諸国(オランダやデンマーク)にしても、中国にしても、アメリカにしても、先進国・途上国を問わず、日本以外のほぼすべての国で実践されているのは「自転車は“非歩道”」ということだ。

自転車は「歩道ではないところ」を走る。

ここが出発点なのである。

歩行者エリアで自転車に乗ってはいけない。ドイツ・ミュンスター市の例(出所=疋田智『自転車生活の愉しみ』)
歩行者エリアでは自転車に乗ってはいけない。ドイツ・ミュンスター市の例(出所=疋田智『自転車生活の愉しみ』)

その非歩道の最も理想的な姿が「自転車専用道」だろう。筆者もオランダやドイツで走ったことがあるが、安全かつスピーディでじつに快適だった。

だが、この日本においてそれを考えてみよう。専用道? 自転車レーン? 実現すればいい話なんだが、それを縦横無尽に敷くために、たとえばオランダという国は半世紀以上をかけてきた。半世紀地道に自転車走行スペースを整備してきて、今があるのだ。

それはインフラだけでなく、ドライバーや自転車乗りの教育についてもそうだ。

ためしにアムステルダムを走ってみるといい。元来、オランダ人ってのは世界的に見ても「何でもあり」「自由すぎる社会!」を謳歌しているわけだが、そういう国にあって、逆走する自転車はゼロ、歩道を走る自転車もゼロ、横断歩道に歩行者が待ってたら自転車もクルマも止まる、自転車レーン上にクルマは決して駐車しない(←これはいいなぁ)と、これらのことが徹底されている。

ところが、我が日本はどうか。

自転車というものが歩道を当たり前に走るようになってしまって、もう半世紀が過ぎてしまった。一方の車道を見ると、相変わらずクルマが我が物顔で疾走している。自転車がいるとクラクションを鳴らす。幅寄せする。自転車に抜かれないようにと左端ギリギリで信号待ちする。横断歩道でも止まらない。数少ない自転車レーンはほぼ100%駐車場状態。まるでどこかの野蛮な途上国のようだ。

自転車レーンには違法駐車車両、歩道には子供たち、あなたが自転車ならどこを通りますか?
画像=筆者提供
自転車レーンには違法駐車車両、歩道には子供たち、あなたが自転車ならどこを通りますか?

それなのにテレビなどが「自転車が迷惑!」「自転車が危ない!」と何の検証もなく無責任に報じて、他者への憎悪を煽っている。それが2021年の日本だ。