代表監督と毎日LINE
この頃、鳥海がどれだけ車いすバスケットボールに没頭していたか、よくわかるエピソードがある。大学1年生の頃から、練習の内容や練習で気づいたこと、課題や改善点、練習以外で感じたことなどを日本代表ヘッドコーチの及川晋平にほぼ毎日LINEで報告していたのだ。
例えば、「今日、こういうシチュエーションでこういうプレーがあったんだけど、どう思いますか?」と質問すると、及川からこまめに返信があった。さらに、月に一度は及川と一緒に試合の映像を観て、プレーの選択肢やほかの選手の思考や動きについて、ディスカッションを重ねた。このやりとりは、鳥海が休学して車いすバスケットボールに専念するようになってからも続いた。
日本代表監督にここまで前のめりにアドバイスを求めるアスリートは、珍しい。鳥海にとってはそれが大きな糧になったという。
「晋平さんに毎日報告をするという意識があるから、ダラダラと1日を過ごしたり、ダラダラと練習をするということもありませんでした。今日はこういう報告したいから、練習でこれを意識してみよう、試してみようとか、日々のモチベーションにもつながりましたね。日本代表で活動していくなかで、僕はずっとバスケットの理解を深めたかったからすごく助かりました」
大学を中退して就職
大学を休学した2018年は、6月の国際親善試合「三菱電機ワールドチャレンジカップ」(日本)、8月の世界選手権(ドイツ)、10月のアジアパラ競技大会(インドネシア)と、大きな大会が続いた。日本代表としてフル参戦した鳥海はこの年、大学を中退することを決断した。それは、身近にロールモデルとなる先輩、日本代表キャプテンの豊島英がいたからだ。
10歳年上の豊島は、高校卒業後、プレーを続けながら東京電力、宮城県警で勤務し、ロンドンパラリンピックの後、さらにバスケに打ち込みたいと放送局のWOWOWに移った。同社は多数のスポーツ番組を放送していることから障害者アスリート雇用を始めたところで、その1号となったのが豊島だ。
仙台市に拠点を置く強豪クラブ、宮城MAXに所属していた豊島は仙台を拠点にしたまま車いすバスケに集中して取り組める雇用体系になり、プレーに集中できる環境を手にした。さらに、リオパラリンピック後の2016年10月からは長期海外出張扱いでドイツのクラブに移籍し、2018年4月までプレー。東京パラリンピックでのメダル獲得を目指して帰国した後は、仙台に戻って勤務を続けていた。
いつの頃からか、海外でのプレーを意識していた鳥海にとって、これ以上ないお手本だった。大学をやめた鳥海は、2019年5月、豊島の紹介を受けてWOWOWに就職した。
「日本代表でお世話になった豊島さんは、WOWOWのアスリート雇用で毎日バスケットを仕事として生活していました。休学中の僕もバスケットを中心に生活をしていたので、それならしっかりと区切りつけて、バスケットが仕事ですって言える環境にしたいと思いました。豊島さんが海外でもプレーしていたので、WOWOWなら僕が海外に行きたいとなった時に前例があるので行きやすいだろうし、アスリートや車いすバスケットボールへの理解があるのも大きいですね」