その車いすに乗り、ゴール下からシュートを打ったらリングにも届かない。選手たちは当たり前のようにしているプレーがなにひとつ満足にできず、悔しさが湧き上がってくると同時に、なにもできないことへの面白さも感じた。

負けず嫌いの血が騒いだ鳥海は中学校1年生の6月、佐世保WBCに加入する。佐世保WBCは九州沖縄地区の強豪だ。しかも、チームの最年少選手でも鳥海と10歳離れていた。素人の中学1年生にとってはハードルが高そうな環境だが、鳥海はひるまなかったし、チームメイトも温かく迎え入れた。

なにより幸運だったのは、チームがちょうど基礎を見直そうとしていた時期に重なったことだった。このタイミングで、競技の知識や車いすの操作をイチから学ぶことができた。

五輪競技用の車いす
鳥海選手のインスタグラムより
五輪競技用の車いす

先輩の家に泊まり込んで練習に没頭

鳥海の心に火が付くのは、早かった。

まだほかのチームメイトと雲泥の差があった頃に、「このクラブで一番になろう」と決意。週3日だったチーム練習に加えて、ほかのチームの練習にも参加し、週5日、練習するようになった。

他チームでの練習には佐世保WBCのチームメイトが先に参加していて、やる気に燃える鳥海をかわいがり、行き帰りは車に乗せてくれたという。

鳥海は週5日の練習でメキメキと力をつけ、車いすバスケットボールを始めて1年後には、ジュニア世代の海外遠征のメンバー選考会に呼ばれた。長崎からは3人が参加したのだが、選考会終了後、「パスポートを用意するように」と伝えられたのは、ほかのふたりだけ。

自分だけ選から漏れたのがたまらなく悔しかった鳥海は、驚く行動に出た。夏休みなどの長期休暇になると、佐世保WBCの先輩の家に泊まり込み、毎日練習するようになったのだ。

「うちは、親が毎日練習に僕を送れる環境ではなかったんですよね。チームには毎日練習している先輩がいて、その人の家に泊まれば一緒に移動して練習ができるので、1週間泊めてもらって一度帰宅するという感じでした。先輩と言っても親世代の方だったんで、親とも仲良くしてもらっていて、本当によくしてもらいました」

自らを追い込む怒涛どとうの練習量は、グングンと鳥海の力を伸ばした。2013年10月にマレーシアで開催されたアジアユースパラ競技大会では、日本代表選手団91名のなかで最年少の14歳8カ月で日本代表に選出された。

「純粋に天才だと思う」

この大会で準優勝した日本代表で際立ってアグレッシブなプレーを見せた鳥海は、高校1年生の夏、特別推薦枠で日本代表の合宿に招集される。初めて目の当たりにした日本代表選手のプレーに、鳥海は度肝を抜かれた。

「桁違いでしたね。この合宿の前に25歳以下の大会で対戦して、『すごい!』と思っていた選手もいたんですけど、日本代表ではそんなに目立ってなくて。僕は、チェアスキルもシュート力もパススキルもぜんぜん足りなかった。とにかく、なんかすごい経験してるなっていう感覚でした」

日本のトップ選手たちとのレベルの差に圧倒された鳥海だが、日本代表のスタッフはポテンシャルを高く評価したのだろう。その年の12月に行われた強化指定選手を決める選考会にも呼ばれ、見事、強化指定選手に選ばれた。