「絶対君主」ウォルトの一番の崇拝者へ
人をその気にさせるのは、ウォルトの得意とするところだった。美術監督のケン・アンダーソンは、『白雪姫』誕生の場面に居合わせた人物で、そのときのウォルトの言葉が忘れられないという。
アンダーソンは1909年の生まれで、シアトルのワシントン大学で建築学を学んだ。成績優秀だった彼はヨーロッパに渡り、パリの高等美術学校と、ローマにある芸術財団アメリカン・アカデミーで奨学生として学ぶ機会を得た。短期間、MGMで舞台デザインの仕事をしたのち、1934年にディズニーのスタジオに入社する。最初は、ウォルトのために絵を描く機会はなかった。
「ウォルトは両手を広げて受け入れてくれたわけではない。わたしは大勢の中のひとりに過ぎず、認められたいと必死だった。ウォルトは絶対君主だったからね」
アンダーソンは、ウォルトが面白い人物だとは思っていなかった。「ウォルトは、ジョークとかそういう類の趣味があまりよくないと、密かに思っていた」。ウォルトのユーモアはいささか低俗で「野暮ったさ」にあふれていたからだ。だが、最初に感じていた嫌悪感は、すぐに消えることになる。
『白雪姫』の制作が進むにつれ、アンダーソンのウォルトに対する感情は、畏敬の念へと変わっていく。「ウォルトの信奉者になったんだ。スタジオ内で、わたしほどウォルトを崇拝していた人間はいないだろう」
ウォルトがアニメーターたちにかけた魔法
1930年代半ばのある日の午後、ウォルトはアニメーターたちに50セントを支給して夕食に行かせ、戻ってくると、全員を防音スタジオに集めた。「当時50セントといえば5ドルくらいの価値があったから、うれしかったよ」とアンダーソンは語っている。
「大衆食堂に行って、35セントでおいしい夕食を食べ、残りの金でデザートのパイを味わった。お腹いっぱいで会社に戻り、スタジオへと向かった。ウォルトから何かあるとか、そういったことは思いもしなかった。ただ、みんな上機嫌で集まっていた……。ともかく、ウォルトが夜の8時半か9時前くらいに下のフロアに下りてきて、われわれの目の前に立つと、新しい作品の構想を語り始めた。前置きもなく突然話し出したんだが、もう独擅場だった。本当にすばらしかったよ!
とてつもない世界に引き込まれて、この人のためなら何でもできると思った。これからやろうとしているのは、ものすごいことなんだとわかった。信じられないような、最高の気分だった。ウォルトの話を聞いていると、登場人物たちが動き出すのを感じた。こびとたちのキャラクターはほとんどできあがっていて……ウォルトは何もかも話してくれた。スタジオから出てきたときは真夜中になっていて、みな呆然としていた。意識がもうろうとしたまま家に帰り、翌朝出勤すると、いつもの仕事ではなく、みんなで『白雪姫』をつくることになっていた」