「ウォルトがやるというなら身銭を切ってもいい」
それから20年の月日と数えきれないほどの成功を経て、ウォルトはふたたび、みなを奮起させるスピーチをすることになる。スタジオの広い映写室には、イメージ図や模型がところ狭しと並んでいた——列車、蒸気船、城、そして、トゥモローランドの呼び物として唯一決まっていたロケットに、ライマンの描いた完成予想図。数百人のスタッフは、15分間、自由に見て回る時間を与えられ、その後みなが席につくと、ウォルトがステージに現れ、話を始めた。
スタッフたちは、あの遊園地業界の大物たちが聞かされたのと同じ話を、プライスからではなくウォルト本人から聞くことになった。その反応は、ウォルトが望んだ通りのものだった。スタッフたちは前例のない事業にかかわるという期待に胸を躍らせながら部屋を後にした。
だが、熱狂が冷めてしまった者も多かった。ウォルトはどうやってディズニーランドの資金を捻出するかについても話をしたのだが、それを聞いたアニメーターのひとりはこう言っている。
「最初の感動が薄れると、ウォルトの言ったことの衝撃が襲ってきた。われわれの負担は大幅に増えそうだった。毎週のように作品を制作し、放送スケジュールをこなすために、それを1年間続けなければならないのだ」
それでも、ディズニーランドの実現を疑う者はほとんどいなかった。アンダーソンはこう語っている。「余裕なんてなかったが、それでも、ウォルトがやるというなら、身銭を切ってもいいという気持ちだった」