嘘に嘘を重ね、メンタルがやられていった
世間からどんな陰口をたたかれても家族だけは当時と変わらなかった。だが、死刑判決を受けて、母親代わりだった長女の何かが壊れてしまったと浩次さんはいう。
「無実だと行動しても何も変わらない。ほとんどの人が理解もしてくれない。そのショックが大きかったんだと思う。それから12年間、家族とも音信不通。お姉ちゃんは林家と袂と分かち、別の人生を歩み出した。亡くなった後に戸籍謄本を取ると、本名まで変えていた事実を知ったんです。縁を切って、名前を変えて、そこまでしてお姉ちゃんは道の真ん中を歩こうとしたんです……。
普通に生きようとすればするほど、名前も素性も邪魔になる。お姉ちゃんも素性を知る友達を全部切ったみたいです。何かあるとマスコミが友達にまで取材するから、普通に生きようとすると本当の友達まで邪魔になる。
僕も会社の同僚に対しては、こんな話はできないですからね。『出身どこなの?』と聞かれたら、『大阪だよ』って嘘をつく。『お父さんは何してるの?』みたいな日常会話から全部嘘をついていかなければならない。嘘に嘘を重ねていくからメンタルがやられて、どんどん引きこもりみたいな生活をして、友達と言ったらお父さんだけみたいな状況になっていく」
飲食店をクビになり、結婚も破談
今までの人生で一番充実していたときはいつかという問い掛けに、「みんなそろって実家で過ごしていた10年間しか、手放しで幸せを感じていないんです。あの楽しかった毎日の記憶が今でもあるから和歌山から離れたくない。だから、お父さんが出所すると自然と家族が集まった」と回想する。だが、思い出の実家も00年に何者かに放火されて全焼。更地となった。帰る場所も今はない。
預けられた児童養護施設ではいじめを受けた。社会に出て働いた飲食店でも、素性を知られると「衛生的に良くない」とクビ同然で退職。「林家の息子」と打ち明けると結婚すら破談になった。ありとあらゆる差別を、身をもって味わった。
一般的に社会からこれほどひどい仕打ちに遭えば、道を逸脱すると考える人も多いのではないか。だが、それも違う。罪を犯せば「林家」という枕詞が付いて回る。世間から「やっぱりか」とレッテル貼りされるのが嫌なのだ。
「仮に万引一つでもすると、おそらく大きなニュースになって家族にも取材が行く。子どもながらに、そう思ってました。バイク乗り回すにしても、シンナー吸うにしても全部お金がかかる。金銭的に余裕がないですから。加害者家族にはそんな余裕はないです。それだったら1食でも多く食べたい」